駅前旅館 |
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■公開:1958年 ■制作:東京映画、東宝(配給) ■制作:佐藤一郎 ■監督:豊田四郎 ■脚本:八住利雄 ■原作:井伏鱒二 ■撮影:安本淳 ■音楽:団伊玖磨 ■編集:大井英史 ■美術:松山崇 ■照明:石川緑郎 ■録音:渡会伸 ■主演:森繁久彌 ■寸評:セーラー服の市原悦子、怖いもの見たさで一見の価値あり? ネタバレあります。 |
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「グランドホテル」というオムニバス形式のような映画の表現スタイルが欧米にあるのならば、ここ日本には「駅前旅館」という素晴らしいスタイルが存在する。 東京の上野駅に隣接した「柊元旅館」は戦後の復興めざましい都会で、修学旅行を大量に受注できる「指定旅館」となっており、今日も今日とてマナーも知性も欠片も無いような、そして途方も無く老けた中学生やら高校生やらの団体客が入れ替わり立ち替わり宿泊している。 そこの番頭、次平・森繁久彌は柊元旅館の女中部屋で生まれて育った、たたき上げのお帳場さんである。戦後の混乱期から、「かっぱ」と呼ばれる人身売買スレスレの人材派遣業と客引き業を営むゴロツキ集団のボス・山茶花究、柊元旅館にほぼ専属の旅行会社の添乗員、小山・フランキー堺らが、必要悪として相互依存しながら成り立ってきたこの業界にも徐々に変化が生じ始めていた。 客引きというのは特殊技能である。上野界隈の旅館の番頭仲間、高沢・伴淳三郎、杉田屋番頭・若宮忠三郎らは慰安旅行先の江ノ島でも地元の旅館で客引きの腕比べをするくらいのプライドとモチベーションの高さを誇りとしていた。ある日、柊元旅館に宿泊した女子中学生・市原悦子ら(えっ?)がカッパにだまされそうになった田舎者を身体をはって守って怪我をするという事件が起こる。戦後派の上野駅の巡査・堺左千夫からは「表彰ものだ」と言われたのだが、その間、元は女中だったが今では紡績工場の社長の愛人に納まっている於菊・淡路恵子といちゃいちゃしていたため、柊元旅館の主人・森川信とそのオッカナイ女房であり柊元旅館のCEOであるお浜・草笛光子に、次平はキツク叱責されてしまう。 次平は仲間とともにカッパ追放運動を先導。上野界隈の風紀向上のために「違法客引き追放」の立て看板によるアピールを実行する。これに怒ったカッパのボスが手下・大村千吉、西条悦朗らを引き連れて柊元旅館へ団体で抗議行動に押しかける。体はデカイが役たたずの梅吉・藤木悠があわてて次平を呼びに来た。次平はカッパたちへのポーズのつもりで柊元旅館を依願退職しようとする、しかし古株の番頭などもう用済みだと決めていた主人と女房から本当に退職金を渡され退職させられてしまう。次平は奮起し、カッパたちの目前で職人芸的な客引きをデモンストレーションし、出て行った。彼のあとを追ったのは番頭たちの溜まり場である飲み屋の女将・淡島千景であった。 ホテルをWebで予約するのが当たり前になった21世紀ではこうした人間による客引き行為はほぼ壊滅状態になってしまったのだが、次平の的確なユーザー情報に基づくカスタマーサティスファクションの追求の努力が結実したサービスの提供が多くのリピーターを生み出してきた事実は高く評価されるべきだ。これは本物志向の市場ニーズを満足させる手法として現代にも十分通じる。 次平の、お客様と直接ふれあい、語り合って得た情報による繊細で人情味溢れるサービスを感じ取ることのできない、鈍くて無作法なガキどもを増長させて、金が儲かればいいじゃないかという拝金主義の萌芽がすでにこの映画の中に読み取れる。結局、最後はカッパと手を組んで商売に精を出すこんな旅館がスタンダード化した結果が現代の不祥事やらなんやらという気がして、あらためて本作品の予言的な価値を見出した次第。 浮気と自治会活動にだけ精を出す旅館の関係者の生態を面白おかしく描いた「駅前シリーズ」の原典(原点じゃなくて、ね)は社会派のほろ苦風味。それにしても、淡路恵子と淡島千景という宝塚の先輩後輩にモテモテな森繁というのはどうも納得できんな。旅館であるから当然(か?)、入浴シーンあり、ボディダブルと予想されるが淡路恵子の湯上りシーンはかなりのムフフ。 (2006年09月03日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2006-09-05