「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


白昼堂々


■公開:1968年

■制作:松竹

■制作:杉崎重美

■監督:野村芳太郎

■脚本:野村芳太郎、吉田剛

■原作:結城昌治

■撮影:川又昂

■音楽:林光

■編集:浜村義康

■美術:梅田千代夫

■照明:三浦礼

■録音:栗田周十郎

■主演:渥美清

■寸評:軽犯罪で見せる戦後昭和史

ネタバレあります。


 デパートの保安員をやっている富田銀三・藤岡琢也は元名うてのスリ。今では洋品店を営むジャンボなかーちゃん、春子・三原葉子との間に可愛い一人娘、桃江・大貫泰子もいて薄給ながらも平穏な日々である。ある日、銀三は九州弁のキュートなスリ、ユキ・生田悦子と知り合う。ユキの話では、かつては栄えた炭鉱町が企業の撤退により寂れてしまい残された老人や女子供や障害者や在日朝鮮人は生きるために泥棒をして生計を立てているらしい。そこにむかしの仲間、渡辺勝次ことワタ勝・渥美清がいることを知った銀三はワタ勝から盗品をさばくために協力してほしいと頼まれる。

 二人を更正させた(と思われる)老刑事、森沢・有島一郎の部下、寺井刑事・新克利が銀三の勤めるデパートに配属された。東京進出を果たしたワタ銀は、手下の野田・佐藤蛾次郎、美人スリのよし子・倍賞美津子、寅次郎(えっ?)・江幡高志、炭鉱爆発で記憶喪失になったマーチ・田中邦衛らに万引きのテクニックを伝授し、荒稼ぎをしていた。仲間が逮捕され足がつきそうになると彼らはアンタッチャブルな泥棒部落に逃げ帰ってしまうため、なかなか尻尾がつかめない。なにせ保安員が仲間に入っているのだから彼らのデパートでの仕事は万事順調であった。

 しかし森沢刑事の執念により、仲間が大量に逮捕されるに及び、悪徳弁護士の坂下・フランキー堺から弁護料の値上げを要求され、ワタ勝は最後の大勝負に出る。銀三が勤めていたのデパートの売上金強奪を企んだのである。しかしそこにはワタ勝の後任として森沢が寺井とともに保安員として配属されていた。

 ワタ勝やよし子たちは犯罪者集団というよりはヴァイタリティ溢れる生活共同体といったほうが適切である。

 一度、ドロップアウトしてしまうかまたはスピンアウトに失敗した者にチャンスは二度と訪れにくいといのが経済社会というのものである。しかしながら仲間を庇い、助け合う人情や心意気が残っているぶんだけ精神的には救われる。生活のため、生きるための犯行であるということで、現ナマ(現金)を奪うよりも同情の余地がかつてはあった万引きという犯罪であるが、他人の富を掠め取るという点においては悪事であることに変わりは無いわけで、次第にエスカレートしていった挙句、重大な犯罪に至るというのも大変に教訓的。

 渥美清はコンプレックスの塊のような役どころにハメると、その糸のように細い眼が陰湿に変容し、凄みが出てくる。好人物でありながらも俺はそういう美味い話には乗らないぞ、というしたたかさを秘めて、おそらくはあまり女にモテたり、経済的に恵まれたり、そういう美味しい経験の少なさ、と言うよりも苦い経験値の蓄積によって形成された心のタンコブが顔面に表出しているような役どころがイイ。藤岡琢也は渥美清とは種類の違うコンプレックスに憑かれており、金に対する執着心が強い感じがする。

 ようするにどちらも映画館に足を運ぶ男性観客のシンパシーを著しく誘うタイプと言える。映画に夢を求めるか、共感を求めるか、癒されたいのは同じでも、その手段は異なる。で、この映画は後者に属するもので、そうしたダメ人間を受け止める、逞しい女性(女房、娘、など)が究極の癒しキャラとして登場する。

 戦後のどさくさにまぎれてそのまま放置された泥棒部落を管轄している駐在が「あそこは誰が誰だかわからない」と言う。そういうところは他にもたくさんあったのではないか?こうした戦後のブラックボックスが背景にある映画というのは教科書で教えてくれない歴史の勉強ができるので、育ちきった大人の方にもある意味、オススメの作品である。

2006年08月17日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2006-08-20