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博士の愛した数式


■公開:2006年

■制作:アスミック・エース エンタテインメント

■制作:荒木美也子、桜井勉、椎名保

■監督:小泉堯史

■脚本:小泉堯史

■原作:小川洋子

■撮影:上田正治

■音楽:加古隆

■編集:阿賀英登

■美術:酒井賢

■照明:山川英明

■録音:紅谷愃一

■主演:寺尾聰

■寸評:

ネタバレあります。


 数学の先生・吉岡秀隆、あだ名は「ルート」。先生は寝癖がチャーミングなのと頭頂部が平板なためこのあだ名がついたと説明する。生徒にもウケる。その先生があだ名の由来を説明する。

 先生が子供のころ、母親の杏子・深津絵里はシングルマザーで家政婦をしていた。派遣事務所の所長・井川比佐志から、すぐに家政婦が辞めてしまうという依頼主を紹介される。その家の博士・寺尾聰は記憶が80分しか保持できず、ゆえに仕事に就くこともできないので義理の姉・浅丘ルリ子の家の離れに住まい、経済的な庇護を受けている。義理の姉は未亡人であり、足が不自由だ。未亡人の説明によれば博士の脳の障害も彼女の足も交通事故が原因で、博士はその日までの記憶は鮮明らしい。

 嫌だと思うがなあ、こんな家。何かあったらどうすんの?普通なら断わりたいところだと思うのだが。杏子としては一人息子・齋藤隆成との生活もあるからきっと了承したんだろうけど。

 映画だからわりと割愛しているのか、それとも杏子の人間としての間口が広いのか、最近の記憶が怪しいという点では認知症の高齢者だと思い込めばそれはそれでなんとかなるのか、とにかく杏子はわりと円滑に博士とコンタクトを取る。博士は妙に子供にこだわる(その理由は映画の中で解説される)。杏子の息子を一人ぼっちにしているのが嫌なので息子も一緒に来るようにと言う。頭頂部の形状がこの頃すでに平板であった息子は博士によって「ルート」と名づけられる。何事も数式で理解し、把握し、愛情を注ぐ博士にルートは良くなつく。

 ある日、ちょっとした事件を境に、未亡人は杏子との契約を打ち切ってしまう。

 未亡人と博士の因縁が常に頭から離れないのは、すでに伝説の人となりかけている浅丘ルリ子のブランド力によるものであろう。実は正体はキツネとかじゃないのか?(ちがう、ちがう)とか。男女の仲であるから、おのずと想像はつくのであるがおそらくは田舎のよそ者として外界との接触も絶っているこの義理の兄弟の心に風穴をあけた代償として?父親不在の家庭にきわめて純粋な父親未満の男を得た杏子とルート母子。

 先生の話が終わったとき、生徒と観客はとてもさわやかで良い気分になっている。

 おそらくは、すでにこの世にいない家族の、ほんの短い間の思い出。数学ヲタクでありながらも記憶がないという設定でもって、純粋で愛すべき博士を造形した原作者が上手い。数こそは純粋であり、人を裏切ることも無く、簡潔で完全、そして未だに未解明でもあり神秘的。博士のみならず、人間はそうではないから、むしろ自己防衛本能が博士の脳に障害を与えたのではないか?と思うほど。

 限定された離れで展開される四人の物語であるが、そこへ異分子として投入される、後任の家政婦・茅島成美のパンパンに膨れ上がった姿に存在感あり。一般の社会から見れば主たる登場人物四人のほうが異形なのであって、その異形のパラダイスに持ち込まれた世間の眼としての冷ややかさと職能的な立ち振る舞いにドキリとさせられる。まるで今、スクリーンの手前にいる観客のことを言われたような気がしたから。

 ラストシーンはややフィールドオブドリームス風味。全部、ルート先生の作り話かもしれない「思い出は二度と戻らないから美しい」んだし、証拠無いし。大人のお伽噺に身をゆだねる心地よさを堪能できる映画。

 学校で数学を勉強したときに因数分解がパズル感覚ですごく楽しかった人(筆者ですが)やいろんな定理を記憶するのに必死で本質を理解できなかったという人は面白いのでぜひ見ましょう。

2006年07月17日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2006-07-17