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内海の輪


■公開:1971年

■制作:松竹

■制作:三嶋与四、 江夏浩一達

■監督:斎藤耕一

■脚本:山田信夫、宮内婦貴子

■原作:松本清張

■撮影:竹村博

■音楽:服部克久

■編集:杉原よし

■美術:芳野尹孝

■照明:中川孝一

■録音:小林英男

■主演:岩下志麻

■寸評:

ネタバレあります。


 大女優と若手の成長株かまたは盛りを過ぎた二枚目俳優による、地方都市を舞台に展開されるテレビワイド劇場的恋愛サスペンス。ちなみにサブタイトルは「兄嫁は見た!エリート考古学者の華麗な殺意」だったりなんかして。と、ここまで書いて気がついたけど、この作品「火曜サスペンス(通称:火サス)」でリメイクしてたのね。

 現在、ユルイ体躯で能書きを垂れるだけのおっさんと化してしまうはるか昔、優男だった頃の中尾彬が、テレビドラマにおいてはやってることは今も昔も変わらないという新たな発見もあり。

 蓬莱峡で発見された女の死体。最初は心中かと思われたが彼女があげた断末魔の悲鳴が殺人を予感させる。

 女を作って新潟へ駆け落ちした夫、寿夫・入川保則の嫁、美奈子・岩下志麻は、女物の家財道具に囲まれ、つまりはヒモに成り下がった夫に三行半をつきつけて去り、修羅場を避けるために嫁ぎ先の静岡から同行してくれた義理の弟、宗三・中尾彬と水上温泉で結ばれてしまう。なんてジェットコースターな展開なんざましょ!当時はまだ純情学生だったはずの宗三であるが、男なしでは生きられない美奈子のグンバツ(死語)なお色気に一発でノックアウトされてしまうのであった。

 数年後、人生のリセットをめざした美奈子は、四国の呉服屋に、親子ほども歳が離れており、かつ、不能ゆえに性癖が尋常でない慶太郎・三國連太郎と結婚していた(ちなみに映画の中でノーマルな性交をする三國連太郎というのは見たことが無いのだが)。定期的に用事を作って上京していた美奈子は、大学を卒業し考古学者となりすでに結婚していた宗三とラブアフェアなひと時をエンジョイしていた。しかし宗三は妻・赤座美代子の父で大学理事長・滝沢修の七光りを受けて出世コースをひた走っていた。

 大人の付き合いのはずだった宗三と美奈子であったが次第に深みに入り込み、浮気旅行先で宗三が知り合いの新聞記者と出くわし、美奈子の元には脅迫めいた手紙が届き、宗三的には想定の範囲内であった二人の未来に暗雲が垂れこめたとき、先に反応したのは美奈子のほうで、早朝、姿を消した彼のことを寝巻きの裾がはだけて太腿があらわになるのもものかは、岩山を発狂寸前になるまで探し回った。そしてある証拠の品を手にしたとき、美奈子は宗三の殺意を知る。

 そんな美奈子とクリーンに別れることなど到底できないたろうと予測した宗三。再度、岩山に自分を誘った宗三に「殺してくれ」としがみつく美奈子であったが、意気地なしのインテリである宗三は美奈子を残して去る。残された彼女は足を滑らせて死んでしまう。真実は事故死であるが、状況証拠は漏れなく宗三の、未必の故意を裏付けており、宗三の人生もまた壮絶なリセットの予感・・・。

 岩下志麻のあられもないヨガリ声にドキドキしていると、三國連太郎の単なる全身マッサージだった、っていうのは正直笑える。その声に過剰反応するオールドミスの女中の切なさが妙にリアルだ。台詞ではなく絵柄でメロドラマを撮らせたらうなるほど上手い斎藤耕一は、現在のようにタレントのおしゃべり(台詞以前のシロモノ)だけで展開する空疎なテレビドラマにヤキを入れる意味でもっと評価されてもいいと思うのだが、どうだろうか。

 この映画の問題点は、平成の観客にとっては中尾彬が到底、恋に溺れる純情学生には見えないと言うことであろう。たとえそのルックスがわりかしカッコいいとしても、だ。岩下志麻が恋に狂うのはいくつになっても大納得であるが、初手からして中尾彬には世間知らずの年増女を弄んで捨てる気満々な鬼畜若造という風情が漂う。つまりオチが簡単に、作り手の意図に大いに反して丸わかりということである。歳月は人を待たず。罪作りな役者であるなあ、中尾彬は。ちなみに、本人の責任じゃなくて、単なる客の都合なんだけどさ。

 ラストシーンが少々安っぽい感じがしないでもないのだが、サスペンスドラマというよりもメロドラマとして作られているので、こっちのほうが流れ的はハマった感じ。あの、空を掴む長い爪にからみついたボタンを見たら、マジ、感じちゃう、女の執念。

2006年07月10日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2006-07-10