父と暮せば |
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■公開:2004年 ■制作:衛星劇場、バンダイビジュアル ■制作:石川富康、川城和実、張江肇、金澤龍一郎、松本洋一、鈴木ワタル ■監督:黒木和雄 ■脚本:黒木和雄、池田眞也 ■原作:井上ひさし ■撮影:鈴木達夫 ■音楽:松村禎三 ■編集:奥原好幸 ■美術:安宅紀史 ■照明:三上日出志 ■録音:久保田幸雄 ■主演:原田芳雄、宮沢りえ ■寸評: ネタバレあります。 |
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いつもいつも頭のおかしいヤクザが大量殺人をする映画や、猫や狸が出てくる映画ばかり観ているとこういう映画に心が洗われるというか、日頃の悩みと恨みと辛みが涙と一緒に流されるのである。ただし、わりと最近、お父さんを亡くした方(筆者ですが)にはインパクト強すぎです、でも、観てほしい、そういう映画。 齢23にもなって「おとったん(お父さん)」とは気持ちの悪い娘だなあと思って見始めたのだが、父親は娘にとって初恋の男(ヒト)なので、甘えん坊でもかまわないぞ、って感じだ。 1948年の広島で図書館に勤務する娘・宮沢りえが1人の男性・浅野忠信にときめいたその日から、娘の死んだ父親・原田芳雄がリアルに出現する。娘の実家は旅館を営んでいたが原爆投下のその瞬間、熱線に直撃されて潰れた家の下敷きになった父をどうしても助け出すことができず見捨てて逃げ延びた(娘的には)娘にも原爆症の影がちらつく。遊び人であった父は娘の恋の応援団を名乗り、恋愛をためらう娘を励まし、アドヴァイスを与える。 「俺の分まで生きろ」という台詞を吐いていいのは死者本人だけである。「被害者の分まで生きていきます」と言う発言は死者にとっても遺族にとっても残酷すぎる、というか無礼千万。父は娘に、助けようと努力してくれたことを感謝し、生きてほしいからこそ逃した(父的には)のである。 一番会いたいと思っていた人が好意的に現れてくれ、あまつさえ「許して」かつ「癒して」くれるのなら幽霊なんか全然オッケーだ。知ってる人のみならず全然知らない人が悪意を持って出てくるのだけは勘弁してほしい。理由もわからず脅かされるくらい怖いことはないからな。「キスミー・グッバイ」のようなロマンティックコメディは許容範囲、「あした」は大歓迎だがチト時間が短くてよけいに未練が残りそう。、多くの幽霊が生者の罪の意識の産物であることを考えるとこの映画は実にまっとうな「幽霊の映画」なのでる。 幸福であることを罪だと感じてしまうのは最大の不幸であるということもまた、悲しい。これは戦地から生還した人たちから多く聞く話である。思い出したくないことであるが、太平洋戦争を実体験した人たちはやがて絶滅する。最も雄弁な映画という手段でぜひ残してほしい。そして本作品のように作者の繊細な感性によって造形されたものであるならば問答無用で後世に残りまくりである。 宮沢りえは幸薄そうな、それでいて芯の強そうなスクリーン外の実人生とも相まって納得度の高いキャスティングだと言える。演劇的であることは観客との「お約束」が利用できる旨みもあるので年齢詐称はこの際、無罪。 原爆を人間(および遺物)だけで描くなんてできるのか?と思っていたのだが、予想は全然外れた。一人にとっても大勢にとっても平等に(公平に、ではなく)襲いかかる死そのものが戦争であると、個人にとっては痛くて悲しくてどうしようもないものであることが二人の会話だけでヒシヒシと伝わるなんて、すげえ映画だな、コケオドシなんか何にもないのに。 戯曲の映画化であるので絵作りも極めて演劇的、つまりはセットにシズル感があり、暗転はそのままに、映画ならではの時間と空間の交錯と省略を用いているので、ほぼ二人きりで進行する台詞劇。 ああ、本っ当にいい映画観ちゃいました。 (2006年06月04日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2006-06-05