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フィラメント


■公開:2002年

■制作:アートポート、アースライズ

■制作:松下順一

■監督:辻仁成

■脚本:辻仁成

■原作:辻仁成

■撮影:蔦井孝洋

■音楽:辻仁成

■編集:掛須秀一

■美術:種田陽平、吉田悦子

■照明:疋田ヨシタケ

■録音:橋本泰夫

■主演:大沢たかお

■寸評:フィラメント:白熱電球などの発熱・発光部分。タングステン線などを用いる。

ネタバレあります。


 やっぱ、ダメだわ、こういう映画。何が言いたいのかさっぱり謎、何見たらいいのか迷ってるうちに終わってしまった。

 銭湯を改装した写真館の経営者の篤次郎・森村泰昌は女装したセルフポートレイトを撮影するだけでなくそのいでたちで街頭にも立つ。その息子、今日太・大沢たかおはイイトシこいた不良少年でありそのフィラメントのような性格ゆえにキレやすい。妹の明日美・井川遥はやくざのリキ・松重豊とバツイチで夢遊病患者。母親の加子・銀粉蝶はすでに家出済。

 明日(美)、今日(太)、加子(過去)という記号を持つワケありな家族。

 今日太は不良仲間の卓爾・村上淳とその彼女、林檎・不二子は隣接するビルとビルの間をジャンプした頃のイキオイに欠ける今日太に不満を持っている。かといってまともに喧嘩するわけでもなく、営業さぽってるサラリーマン・津田寛治を襲撃したりして今日太の野性を呼び覚まそうとするのであるが、もはやギルバート・グレイプ状態の今日太は反応なし。一方、同様にトウのたった癇癪坊主、卓爾の家庭は両親が一応揃っていておそらくまともな人たちであろうが子供には全く関心を示さない。

 そこへイキナリ母親の加子が帰還。派手な服装が体現するように、彼女は女装趣味の亭主に愛想を尽かし若い男に走り、そして案の定、捨てられたのである。母親に批判的な今日太と違い、篤次郎は「家族は家族である」と言い加子を受け入れる。

 絵柄は面白い、が、よくわからないまま終わってしまった。内容が単純すぎるから?

 カタチは整っていても心の通っていない卓爾の家族と、カタチはとっちらかっているが情を通わそうと努力中の今日太の家族。人間の強さ、悲しさ、弱さ、強さ、そして死。あきらかに無理のある卓爾と林檎のステレオタイプの若者像が鼻につく、母の帰還以降、主役である今日太を凌駕する篤次郎の存在感、異形の有様しか眼に入ってこなかった、正直なところ。がっしりとした顔の井川遥の素面と女装した(おかっぱヘア)森村泰昌が大変によく似ていたのが笑えた。あ、あの女装は「女優シリーズ・井川遥」か?

 さて、そんなこんなで卓爾はやくざから強奪した拳銃で通りすがりの酔っ払い・諏訪太朗を射殺と言うかほとんど暴発事故で殺してしまう。卓爾はリキと彼の仲間から追われる身となりビルの屋上から転落死してしまう。リキが明日美をレイプする。怒りに燃えた今日太であったが「父親のミッション」を宣言した篤次郎がその任務を果たしたとき、今日太はもう一度だけ大ジャンプを試みた。

 ありゃ、落ちたな。

 この映画に登場する女性たちは概ね半馬鹿である。しかし女が白痴を装うのは自己保身、男は皆キレやすいが女はそうはやすやすとはキレない、計算なしに行動できないのが女。男性諸氏はよく心に刻んでおくようにしましょう。今日太はむしろ「家族を守るために」と努力しているようにも見えるので「フィラメント」っぽくない。キレかかっていたのはむしろ彼の性格ではなく、この一家そのもののことらしい。

 うーん、やっぱよくわからない、大沢たかおがもっとキレたほうがよかったのか?卓爾ぶっ殺すとかして。

 その背丈と顔立ちゆえに、顔の怖いやくざとか、顔の怖い警備員とかしか役がつきにくい松重豊であるがなんか気の毒になってきたな、いいかげん。気弱なサラリーマンの津田寛治が飲んでいた缶コーヒーはやはりサントリーの「ボス」?全体にまとまりのない映画だったもんで、そんな余計なところばっか見てた。

2006年05月13日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2006-05-22