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廃市


■公開:1984年

■制作:ATG

■制作:佐々木史朗 、 大林恭子(監督のカミさん)、嶋田親一

■監督:大林宣彦

■脚本:内藤誠、桂千穂

■原作:福永武彦

■撮影:阪本善尚

■音楽:大林宣彦、宮崎尚志

■編集:宮崎尚志

■美術:薩谷和夫

■照明:稲村和己

■録音:林昌平

■主演:山下規介

■寸評:

ネタバレあります。


 柳川ってそんなに人文方面で地盤沈下しているのか?地元の人は怒らないのか?この映画見て。

 夏、大学生の江口・山下(ジェームス)規介が卒業論文作成のために、運河のあるド田舎の旧家を訪れる。貝原家の現当主は少々呆けの入った志乃・入江たか子、快活でほっぺたパンパンの孫の安子・小林聡美、良く言えばシャイだがはっきりいって性格暗そうな住み込みの高校生、三郎・尾美としのり、そしてお手伝いさん。江口がこの町を訪れた当日、彼はいたるところで運河の音を聞く。掘割を行き交う小船が最速の移動手段なのだ。

 深夜、江口は河の音にまざって女性のすすり泣く声を聞いた。安子は江口に「この町はすでに死んでいる」と陰鬱な感想を述べる。安子には姉の郁代・根岸季衣がいて、入り婿の直之・峰岸徹とは仲の良い夫婦「だった」のだが郁代の姿は見えない。安子と郁代の母の法事で焼香した江口は、安子と直之の間にただならぬ気配を感じる。都会人らしくちょっとばかり不躾な興味を抱いた江口は、安子の墓参りに同行し、郁代が家を出て寺に住んでいることを知る。直之もまた家を出て秀・入江若葉と暮らしている。

 コレといって娯楽のないこの町では宴会やお祭りが唯一の社交の場であり、ストレス発散の場となっている。道楽者と評判の男・林成年と直之が船舞台で歌舞伎を演じた夜、江口は直之から貝原家の状況を聞いた。郁代は直之の浮気を邪推して家を出た、そしていたたまれなくなった直之もまた秀と暮らし始めたのだと言う。告白の一ヶ月後、直之と秀が心中する。通夜の席、郁代は直之の本命が安子だったと言う、それを聞いた安子は、直之が好きだったのは郁代だったと反論、互いの思いのすれ違いに涙する郁代。

 卒論を書き上げた江口が町を去る日、安子は駅まで見送りに来た。「また来る」という江口の言葉を信じない安子。電車が動き出したとき、それまで二人の仲を黙って見ていた三郎が追いかけてきた。「この町の人間は思ったことを口に出さない、江口さん、あなたは安子さんが好きなんだ」と。すべては後の祭りなのであった。

 「廃」という字の意味は「廃れる(すたれる)」である。無価値なものになること、人の名誉や面目が失われるということ。廃れる、捨てられる、栄えていたものが衰える、こと。退廃にも通じる町は、江口の回想によれば「火災であらかた失われてしまった」ので本当に廃(灰)市(死)してしまったのである。

 別に絶海の孤島じゃないんだからさあ、電車だって走ってるんだから、そんなに嫌な町なら逃げ出せばいいじゃんか?と思うわけだが、経済的に自立できない安子や郁代はそれもままならず、グジグジグジグジしながら過ごしているのである。「ピアノを習う」くらいしか反抗の手立てが見つからない安子、ひょっとしてテレビなんか絶対、見たことないんじゃないか?と思われる。

 恥じらいというのは時として人間の行動を必要以上に抑制してしまうものであるが、適度は恥じらいは無粋な行為を静止して人間関係を良好にする。慎み深いのか?勇気がないのか?あるいは両方なのかもしれないが、男衆もなんとなくしがみついて、シガラミついでに生きている。

 異邦人である江口の回想によるこの映画は台詞のとおり「記憶というのは後で都合よく整理してしまわれる」と言っているとおり、美しき思い出のこの町は後に大火に見舞われたという新聞記事を読むまでの長い間、すっからかんに彼の記憶から消し飛んでいたのである。小さな町の小さな物語。日本のヴェニスと称される柳川(大林宣彦は「柳川がこのとおりの町だというわけではない、あくまでもフィクションです」というナレーションをつけている、しかも自分で)の水路のたゆたう流れの緩やかさは都会人にとってはある種の癒しであるが、地元民にとっては道楽の産物であり退屈な日常そのもの。倦んだ日々に、若干三十やそこいらで疲れ果てた直之、まるで「ヴェニスに死す」の味わいですな、白塗り(女形やるんだよ、あの、ゴツい峰岸徹が)もしてるし、あ、でも、男色じゃないけどさ。

 回想に時間の推移は無いのである。止まってしまった懐中時計のくすぐり、その甘ったるい感じが映画全体をまったりと包み込んでいる。

 しかし、この映画に出てくる人たちってどうやって稼いでんのかね?あらゆる事業に失敗した直之とか?やっぱ不動産かな?土地持ちって強いよなあ。つくづく、こういうデリケートな映画に向いていない性格だな、筆者は。

2006年04月23日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2006-04-23