「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


新座頭市 破れ!唐人剣


■公開:1971年

■制作:勝プロダクション、ダイニチ

■制作:勝新太郎

■監督:安田公義

■助監督:太田昭和

■脚本:安田公義、山田隆之

■原作:

■撮影:牧浦地志

■音楽:富田勲

■照明:美間博

■編集:谷口登司夫

■美術:西岡善信

■主演:勝新太郎

■寸評:

ネタバレあります。


 ジミー・ウォングという俳優はある年代の人にとっては大変に懐かしい人である。「片腕ドラゴン」というハンディキャッパーにして無敵の武道家というトンでもないキャラクターを、どう転んでも悪人には見えない無類の童顔で、時には空飛ぶギロチン兵器とも闘うトンでも系のヒーロー。そしてこの片腕のキャラクターは座頭市の中国版とも言うべきものなのでオリジナルとオマージュの対決とも言える。

 将軍家に献上される「あわび」を運ぶ南部藩の行列の鼻先を、凧を追いかけてうっかり横切ったと言う理由で唐人の子供が斬り殺されそうになり、それを庇った両親が惨殺され、それに憤慨した唐人の片腕の剣術家、王剛・王羽(ジミー・ウォング)が南部藩の家来を斬って子供を逃して自らも逃走、このままでは御家の恥とばかりに現場を目撃した通行人たちを大量虐殺し、その罪を王剛になすりつけた南部藩は必死になって王羽と子供の行方を追う。

 杉戸一家に追われている座頭市・勝新太郎はたまたま瀕死の唐人(父)から子供の小栄・香川雅人を預けられる。日本語があまり話せない小栄との珍道中の途中、小栄を探していた王剛と出会った座頭市は、最初は王剛に疎まれるが小栄がなついていたので彼とも仲良くなる。小栄のたどたどしい通訳により、一行は福龍寺に向かう。そこには王剛の友人がいるらしい。

 南部藩と手を組んだ地元のやくざの親分、藤兵ヱ・安部徹は座頭市を庇った与作・花澤徳衛を殺す。小栄と王剛のために酒とおまんじゅうを買いに出ていた座頭市は執念深い杉戸組の三下に目撃されてしまい、与作の家の室に匿われていた王剛と小栄は、座頭市が裏切ったと思い込んで逃亡する。与作の娘、お米・寺田路恵は座頭市を父親の仇と誤解し、福龍寺の修行僧、覚全・南原宏治に助けを乞う。いつになく人格者ヅラした南原宏治であったが、この人を信用して(映画の中での話だが)幸せになった人はいないのである。

 座頭市は酌婦のお仙・浜木綿子、地元のあんま、浜の市・三波伸介、気のいい人足の新七・伊東四郎、亀・戸塚睦夫(以上、てんぷくトリオ)の助けを借りて小栄と王剛の居所を突き止める。南部藩に小栄が拉致されてしまい、王剛はますます座頭市を疑う。座頭市は小栄の乗った駕籠を夜道で襲い小栄を救出し、必死で藤兵ヱ一家をやっつける。王剛は小栄を引き渡すというウソの話で南部藩に呼び出されていた。南部藩にチクっていたのは覚全だった。王剛は覚全を倒したが人間不信にも拍車がかかり、カンカンに怒った王剛を取り押さえようとした南部藩の藩士は一人残らず倒される。座頭市は小栄の無事を告げるが、言葉が通じず、王剛には信じてもらえない。

 義理とかのいろんなしがらみで友達を失い続けてきた座頭市としては、今回はコミュニケーション不足によって命のやりとりをするという展開。タイトルだけだと単なる色物映画なのだが、いや実際は当時としては「ゴジラ対キングコング」の日米決戦(だけど中身は広瀬正一)みたいなニュアンスだったような気もするが、どっこい、アジアの大スタアをいち早く招聘しお馴染みの曲芸アクションを器用に日本のチャンバラ映画(とは言え、座頭市は元々相当にトリッキーなキワモノチャンバラ映画なのだが)の画面に上手くはめ込んで、かつ、泣かせどころもきちんとふまえた娯楽時代劇に仕上がっていると言ってよい。

 相変わらず共演者にいいところを持ってくる勝新太郎である。相手が大魔神だろうが座頭市だろうがわけ隔てなく嫌がらせをし、姑息な手段で痛めつける、そういいう分りやすい悪役をやらせたらおそらく日本一であると言ってよい安部徹のスタンダードな悪玉ぶりもよく、見栄えが二枚目なのに悪だくみ全開の南原宏治との極悪二枚看板が、大人の凄みを利かせて、キワモノの限界できちんと映画にまとまりをつけているところが素晴らしい。

 ジミー・ウォングも誠実にキャラクターを創り上げており、勝新太郎とのママゴトのようなやりとりも後の悲劇的な結末を想像させてシミジミとする。

 「あんま、めくら」という存在に対してまったく先入観のない唐人は、やくざも百姓も座頭市に対してもまったく同じスタンスでコミュニケーションする。一人ぼっちの異形の者という共通点でやっと友達ができそうだった座頭市が一瞬抱いた希望のようなものが、言葉のコミュニケーション不足というところから、するりと抜け落ちてしまうところが切ない。武芸者である王羽は剣を交えるまで座頭市の真実を感じることができなかった。

 「目は口ほどにモノを言う」ということもまた、座頭市にはできない。そうして彼は再び世間からとことんアウトローしてしまうのである。

2005年12月18日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-12-18