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人間の証明


■公開:1977年

■制作:角川春樹事務所、東映

■制作:角川春樹、吉田達、サイモン・ツェー

■監督:佐藤純弥

■助監督:出倉寿行、松永好訓、北垣善宣

■脚本:松山善三

■原作:森村誠一

■撮影:姫田真佐久

■音楽:大野雄二、ジョー山中

■照明:熊谷秀夫

■編集:鍋島惇

■美術:中村修一郎

■主演:ジョー山中(筆者推奨)

■寸評:

ネタバレあります。


 角川映画のお約束、熟女ヒロインは自殺する。

 最初におサルさんがよじ登って有名になったエンパイヤ・ステート・ビルは、リメイク版が今はなきツインタワーに登ることを聞いて「なぜ、うちに登らないんだ!」と抗議をしたらしいが、ここ日本ではゴジラによって炎上させられた松坂屋が東宝に「縁起でもない!」と猛抗議をしたらしい。さて、ホテルニューオータニにとってこの映画はどのような宣伝効果があったのだろうか?

 貧民窟出身の元フラワー・トラベリング・バンド(な、わけない)の米国人、ジョニーヘイワード・ジョー山中が東京のホテルのエレベータの中で胸を刺された状態で死亡。今わの際に残した言葉「ストウハ」、ジョニーがアメリカを発つときに残した「キスミー」という二つの言葉を手がかりに、かつて父親を占領軍の不良兵隊どもになぶり殺された過去を持つ刑事の棟居・松田優作が先輩のしょぼくれ刑事、横渡・ハナ肇とともに捜査を進める。

 国会議員の郡陽平・三船敏郎と、服飾デザイナー(作品は山本寛斎)の八杉恭子・岡田茉莉子のゴージャス夫婦には案の定、不良のボンクラ息子、恭平・岩城滉一というのがいて、こいつが親の金で遊びまわっており、当然だが薬物も常習らしく、土砂降りの雨の中でホステスのなおみ・范文雀を轢死させてしまう。ホステスは病弱で失業中(推定)の夫を養うために水商売をしていた心のスキマを埋めるべく金と力とを兼ね備えた大企業の重役、新見・夏八木勲と浮気をしていた。なおみのヒモ状態だった夫、小山田・長門裕之は行方不明になった妻を、ひょんなことから浮気相手とともに捜索する。

 ジョニーの父親、ウィルヘイワード・ロバート・アール・ジョーンズが息子を日本へ行かせるために当り屋をやって金持ち・リックジェーソンから金をせびっていた事実を掴んだジャップ嫌いのシュフタン刑事・ジョージ・ケネディ。彼は覚えていないのだが、渡米した棟居刑事と彼は実は過去に因縁がある間柄なのである。一方的にそのことに気がついた棟居は、フリーズの警告を受けていたにもかかわらずハンドガンを取り出してしまいあっさりと射殺されたボンクラ息子の死体を見てシュフタン刑事に「バカヤロウ!何人、日本人を殺せば気がすむんだ!」(ただし日本語)と胸の内をぶちまけるのであった。

 さて、こんな感じでいろんなことが同時に起こり、夫々が事の真相を突き詰めていくうちにプチブルの成り上がり一族が崩壊していくというドラマである。

 とにもかくにも人の出入りが激しく肝心のドラマがどいつもこいつも中途半端であり、ファッションショーのド派手なステージが延々と映されたり、小川宏(本人)ショーのテレビ公開捜査みたいなのに(アナウンサー時代の露木茂も出演する)事件の真相に直結するよう電話がかかってきて、鈴木ヒロミツシェリーが乳繰り合ってたら真犯人がおぼろげに分っちゃったり、唐突にカーチェイスが始まったり、何がなんだかわからないうちにどんどん話が進んでいくのである。

 犯人の捜索については、ほぼすべては棟居刑事の優れたカンだけで突き進む。本作品の棟居は暴力的にもめちゃくちゃ強いので文武両道のスーパー刑事(デカ)であった、とも言える。だからどうしたと言われても困るが。

 日本人俳優が総じてドタバタ勝手に動いている中では、ジョー山中が余計な芝居を一切しなかった(できなかった)分だけ、スクリーンの上で印象的な瞳の芝居が味を残して美味しい所を独り占めしたような感がある。あと、ちょっと不思議だったのは、今となっては某大女優の家庭をほうふつとさせるような有名人の一人息子にして犯罪者となる岩城滉一の「声」である。あんな声だったっけ?あんなに活舌よかったっけ?なんか吹替えくさいんだけど真実はどうだろう?

 カメオ出演でいくつか面白いのを拾っておく。

 サーヴィス精神旺盛な角川春樹は、戦後間もない闇市で、占領軍に向かっていこうとする幼い棟居少年を止める復員兵の役で出演。原作の森村誠一も昔とったなんとやらでホテルのフロント係で出演、ちなみに部下が近藤宏、職能的には完璧な素人演技に対抗するかのごとくスタミナ抜群の棟居刑事に引きづり回されて愚痴をたれるホテルマンを人間臭さを爆発させて熱演。脇役の刑事・和田浩治は実生活で夫婦の田村順子と共演、ただしカラミのシーンは無し。極め付きは、証拠隠滅のために真犯人が田舎の婆さんを殺害した現場検証に立ち会っていたヒゲの警部補・深作欣二である。深作監督は東映東京のテレビ破壊工作番組「キイハンター」のカラー化直前の作品にも、共産国のスパイ役で顔を出している、ってもサングラスしてたけど。

 この映画のまとまりのなさは、ひとえに佐藤純弥の演技指導放棄に起因している。「新幹線大爆破」のように脚本が抜群に面白くケレン味だけで持っていけるような災害映画はよいのだが、本作品のようにじっくりと人間ドラマを追いたい観客のニーズと真逆に転ぶとこんなに悲惨になるという、大変によい事例である。

 本作品はテレビで二度、リメイクされている。昭和版のほうは恩地日出夫が演出にあたり、俳優もやや地味目にシフト。松田優作→林隆三、三船敏郎→山村聡、岡田茉莉子→高峰三枝子、岩城滉一→北公次、ボンクラ息子の恋人の高沢順子は連続登板であった。

 ちなみに筆者は昭和のテレビ版で新見役を中丸忠雄がやっていたので、彼が連れ込み旅館に置き忘れた書籍がたまたまP・F・ドラッカーの「経営者の条件」だったというただそれだけで、ドラッカーの本を片っ端から読み倒したのであった。ファンなんて所詮は単純なのである。

 映画版では棟居刑事の上司に鶴田浩二が出演しており、事件の解明が終盤にさしかかったとき「逮捕しますか?」と促す部下に対して首を振る。まるで「砂の器」の丹波哲郎のような趣であったが、霧積からニューヨークに至るロードムービー風の進行具合といい、年長刑事と若手(にしちゃあ老けてるけど)刑事のコンビネーションといい、「砂の器」をそこはかとなく意識しているとしか思えない味が感じられる。

 角川映画が「大作映画」として、映画の中身以外のところでガンパッタ本作品なのであるが、日本の大作映画に欠かせない丹波先生を出していないということで「画竜点睛を欠く」というところだろうか。それ以前の問題なのは重々承知の上で、あえて。

2005年12月04日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-12-04