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女囚さそり 第41雑居房


■公開:1972年

■制作:東映

■制作:吉峰甲子夫

■監督:伊藤俊也

■助監督:馬場昭格

■脚本:松田寛夫、神波史男、伊藤俊也

■原作:篠原とおる

■撮影:清水政夫

■音楽:菊池俊輔

■照明:桑名史郎

■編集:田中修

■美術:桑名忠之

■主演:梶芽衣子

■寸評:

ネタバレあります。


 「さそり」作品はいくつかあるが、本作品が一番好きな作品になってしまった。ちなみに本作品の鑑賞前は「けもの部屋」がベスト。

 松島ナミは無敵ではなく、不死身だ。殴られても蹴られても苛められて汚されてもダメージがほとんど残らない。普通このような人格否定を何度も食らえば心も顔も歪んでるのが普通なのではないかと思うのだが、なんでこんなに美人がこんなことしてんだろうか?というミステリアスな評価も含めて、である。

 ナチの収容所といったほうが相応しいような女子刑務所へ視察に訪れた法務省の役人・戸浦六宏が失禁した上に女囚たちによりズボンを脱がされ下半身ステテコ一枚で寒空にしゃがみこんでいた。。

 ・・・ってこういう書き出しだと何がなんだかわからないのであるが、全部事実である。この作品の世界観を伝えるために、まずはピンポイントでシーンをスケッチしてみた。

 さて、本題。

 殺人犯にして脱走の常習犯である松島ナミ・梶芽衣子は地下牢で毎日、復讐のスプーンを研いでいた。そして自らの手で隻眼にした残酷所長・渡辺文雄の命により、よりにもよって金銭以外の手段では決してバシタ以外の婦女子とは性交の叶わぬであろう不細工看守・小松方正らによって懲罰の最中に他の女囚らの目前で輪姦される。

 なんでストッキングかぶってわざわざ襲うのかは意味不明だが。

 女囚たちのボス・白石加代子は裏切った亭主に腹を立てて子供を二人、しかも二人目は懐妊中に自刃するという壮絶な経歴の持ち主。その加代子がナミに身の程知らずなライバル心を抱くのだが、脱走という共通の利害が一致し、賀川雪絵八並映子伊佐山ひろ子らとともに看守どもに天誅を下して護送車より逃亡。渡辺所長の部下である室田日出男三重街恒三は炎上する護送車のそばで、小松看守のトンでもない遺体を発見する。

 なんでそんな危険な囚人をノコノコと護衛もつけないで運んでたの?とかこのあたりのご都合主義へのツッコミどころは満載なのだが、まあいい。

 外界から閉ざされた山奥の廃村で、ベッタベタの書き割をバックに一人取り残されたキチガイ婆さん・田中筆子(夢出るぞ)を看取ったさそりは形見の出刃包丁を受け取り女囚たちとの逃避行を続ける。途中、家族に会いたさゆえに実家へ立ち戻った荒砂ゆきが看守に尾行されていることを発見したナミは切れ味鋭く追跡者たちを殺害し事なきを得る。

 孤独であるがゆえにナミは仲間を大切にする。それ故に裏切りは許さない。

 女と見ればヤリまくる野良犬以下の団体客・小林稔侍高月忠らが乗ったバスをジャックした女囚たちは看守軍団の道路封鎖に遭遇する。一丸となって突破を図るかと思いきや、白石加代子はこともあろうにナミをオトリに差し出してしまうのであった。

 何が敵で何を味方とすべきなのか?指導者がここを見誤ると致命的だ。この所業が結果的に天性のリベンジャーであるさそりの怨みを買ってしまうのである。画面は現実世界を完全に超越し、良く言えばテーマ主義の左翼主義かつ哲学的な、悪く言えばその場のイキオイとしか思えないような、強いて言えばエロだけがあまりない、グロくてサイケなアングラ空間へとなだれ込む。

 インテリはアングラ演劇が好きであるから、白石加代子という玩具を得てその趣味的な絵作りは思いっきりなお祭り状態。トンネル内部に追い詰められたバスに渡辺所長の依頼で交渉役を引き受けたナミが接近する。ナミは、口々に「裏切り者!」と罵る女囚たちに一言「私を売ったね」とだけ言って去る。

 女は追いつめられると道義的責任よりも感情を優先させる生き物である。ここでは私怨による復讐よりも人質の安否確認という職業的倫理観およびキャリアプランを冷静に優先させた渡辺所長のほうが指導者としては白石加代子よりも優秀だったと言えよう。

 しかしそんな渡辺所長もつい欲をかいてしまう。物事が思い通りに運んでいるときにこそ人間にはスキができるものだ。慢心には気をつけよう。

 この際だから栄転の記念にナミを葬ろうと考えた所長は、室田&堀田の、持ち駒では最強の野獣コンビに命令し、処刑場として東京湾のゴミ捨て場をチョイス。だが白石加代子の乾坤一擲によりその計画は潰える。瀕死状態の白石はアングラ役者の意地を見せて不燃ゴミの山(本当の本物)に顔面ダイブして憤死。

 作戦の遂行はその結果を見届けてこそ価値のある成果が得られる。たとえ失敗したとしてもそこから学習できる事は多い。渡辺所長の欠陥はここにある。言い出しっぺのくせに最後まで「見届けない」指導者というのは結局のところ成功率を下げがちである。

 どこでどうやって手に入れたのかわからない定番ファッション、黒いツバ広帽子に黒のロングコートを着たナミは、官僚に出世した渡辺文雄を襲撃、大手町近辺から新宿副都心まで追い詰めてメッタ刺しにして殺害し怨みを晴らすのであった。

 ナミは毎度のことながらほとんど喋らず、その眼光は受ける側の本音を余すところ無く吐露させるスピリチュアルパワーを備えている。この日本に、あの当時、梶芽衣子がいて本当によかったと、しみじみと実感できる。

 そして見終わった今、体制側の俳優たちの高学歴も相まって抱く感想は「インテリは変態である」ということだ。

 作り手の確信犯的な行為ではなく、むしろ見る側の最終的な感想として。

2005年12月01日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-12-02