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竹山ひとり旅


■公開:1977年

■制作: 近代映画協会、ジァン・ジァン

■制作:高嶋進、佐藤貞樹、能登節雄、赤司学文

■監督:新藤兼人

■助監督:小松崎和男

■脚本:新藤兼人

■原作:

■撮影:黒田清巳

■音楽:大谷和正、高橋竹山

■照明:岡本健一

■編集:近藤光雄

■美術:大谷和正

■主演:林隆三

■寸評:

ネタバレあります。


 日本には「都会人」は存在しないと言って良い。都会的なるものはほとんど虚構の世界にしか存在せず、スノッブなんてアメリカ映画の猿真似からいつまでたっても脱出できないのが日本人全員である。ゆえに、北国のどんよりとしたド田舎の田舎者にシンパシーを抱かない日本人はいないはずで、もし抱けない人がいたとしたら、そいつは単なる勉強不足で情念が稚拙なのである。

 一億総田舎者、そして田舎者だからこそ田舎を嫌って田舎者を差別したがる、それが日本人。津軽の田舎に生まれた津軽三味線の演奏家の若き日々を通して日本人共通の心象風景を描いたのが本作品。

 定蔵(高橋竹山)・林隆三は強度の弱視ゆえに母親・乙羽信子、父親・金井大は隣家のボサマ(盲目の男の三味線弾く人)である戸倉重太郎・観世栄夫と妻・根岸明美に頼み、住み込みで修行をさせる。内弟子となった定蔵はメキメキと三味線をマスター。最初の妻・島村佳江とともに門付けをして回るが、豪農のスケベ旦那・森塚敏にだまされて納屋の中で犯された妻が逃げ出してしまったので、定蔵は一人で旅に出ることに。

 旅の途中で泥棒・川谷拓三や飴売り・戸浦六宏や札売り・絵沢萠子と出会う定蔵。計画性は無いが生活力だけはやたらとある人たちと交流し定蔵は放浪生活に馴染んでいく。浪曲師・小松方正、味線弾き・緋多景子らとセッションを繰り返していくうちに定蔵は三味線の腕前をグングン上げていく。活弁・松田春翠、木賃宿の夫婦・織本順吉佐々木すみ江、芸熱心で正直な定蔵は誰からも好かれた。居留守を使う百姓のババアなど、あなどれない人もいるが、概ね貧村の人たちは彼に好意的であった。

 母親は逞しく成長した息子に感涙。手に職をつけることを考えた母親の勧めで鍼灸師の資格を得るために盲唖学校に入学した定蔵は、そこの教師・島田順司から深刻な相談を持ちかけられる。妊娠した教え子と結婚したいが諸事情によりそれが叶わないので認知してもらえないか?という厚かましいにもほどがある相談事であったが、基本的に猜疑心レベルの低い定蔵は引き受ける。が、直後に校長・藤村有弘から、この教師がくわせものだったと聞かされた定蔵は「目明きは信用できねえ!」と大暴れ。

 フジ・倍賞美津子を妻にした定蔵は、成田雲竹・佐藤慶という民謡の歌方とコンビを組んだ定蔵は高橋竹山という号を得た。

 筆者は林隆三が好きである。声も芝居も顔もいい、さらに新劇畑のくせに「田舎芝居」をしないのも気に入っている。まるで映画俳優のように「なんにもしない」力が大変に強い俳優サンだ。おそらく林隆三でなかったらこの映画は情緒過多の説教だらけになってしまったのではないか?と思われ。ドキュメンタリーちっくな映画だから余計なことがしにくかったというのが案外正解だったりするかも。

 津軽三味線をメジャーにしたのは高橋竹山である。本人は別にどうのこうのではなく、渋谷の小劇場にゴロまいていた自称文化人と呼ばれる人たちが勝手に宣伝したのがきっかけ。もちろん、未だに凡百の(ってそれほど聴いてないですが。エラソーなコト言ってすいません)津軽三味線のプレイヤーよりも、べえええん、びえええん、という重たくて辛そうな音色の迫力において高橋竹山の音は、等しく田舎者の遺伝子を体内に持つ日本人の古い脳みそに組み込まれた琴線の揺さぶり度が格段に上だった。

 ま、筆者も当時、三味線?これが?という音色にびっくらこいたわけで、最初に聞いたからこの音色がスタンダード化しただけなんだけどさ。

 芸はゲージツにあらず。乞食同然の扱いを受けていた高橋竹山の青春時代(言い方にセンスの欠片も感じませんが)をボサボサの林隆三が、津軽三味線(当然ですが実物も登場するので本人ではなく本物が演奏)による門付けをバリトンで熱唱。しかし津軽民謡にバリトンは合いませんな、く通る声であるが、単なる歌の上手な酔客だよな。

 高橋竹山と言えば渋谷のジァン・ジァン。21世紀、本人も劇場も今は無い、後者はサラリーマンの憩いの場、喫茶ルノアールになった。現在「高橋竹山」は二代目の女性が継承。本作品にも女芸人の役、高橋竹与(当時の名前)で出演。

2005年08月28日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-09-04