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CASSHERN


■公開:2004年

■制作:

■制作:

■監督:紀里谷和明

■助監督:野間詳令

■脚本:佐藤大、菅正太郎、紀里谷和明

■原作:竜の子プロダクション

■撮影:森下彰三、紀里谷和明

■音楽:宇多田ヒカル

■照明:渡部嘉

■編集:紀里谷和明

■美術:林田裕至

■主演:伊勢谷友介

■寸評:

ネタバレあります。


 最近のSF映画は妙に乳臭い。母ちゃんのフトコロ恋しさの腑抜けどもが科学の助けを借りて戦うのばっかりだ。その反動で女はメキメキ強くなっている。

 近未来、50年戦争末期。化学兵器によって汚染された地球、永遠の命を得るために新造人間という細胞を培養し、死んだ肉体を蘇生させる、つまりスペアを作りまくる研究を続けていた東博士・寺尾聡。実は公害病で失明寸前の妻のミドリ・樋口可南子を救うためだったが、老い先短い為政者、中条将軍(おっとアブナイ名前だね)・大滝秀治は、商社マンの内藤・及川光博に研究の推進を命じた。

 東博士の息子、鉄也・伊勢谷友介は親の反対を押し切って軍隊に参加して名誉の戦死。幽霊となった鉄也が帰郷すると、新造細胞が活性化しはじめあまたの死体が次々と蘇生を始めていた。驚いた内藤が軍隊へ通報、そしてその中の一人が超人、ブライ・唐沢寿明となる。軍部は新造人間たちを危険と判断し惨殺開始、ブライはわずかに生き残った仲間と逃亡し新造人間の生存権を主張し、人類の全滅を決意。ブライはロボット軍団を従え、新造人間仲間のアクボーン・宮迫博之、サグレー・佐藤真由美、バラシン・要潤とともに戦いを開始する。

 東博士は本人(幽霊だけど)の意思に反して(そりゃ聞こえてないから)鉄也の死体を力任せに蘇生、屈強化した鉄也はルナ・麻生久美子とともにロボット軍団との戦いへ。鉄也とサグレーやバラシンとの死闘は凄惨を極める。公害病で倒れたルナを助けた医師・三橋達也から「救世主」の名前を聞いた鉄也は自らをキャシャーンと名乗る。

 まるで漫画のような、原作がそうだからだけど、アニメ版のおいしいところを頂戴してCGてんこ盛りで今時の絵柄に大変身。それでもメインのキャラクターの名前が原作どおりだったり、決めのポーズも尊重してたり、ナレーションが納谷悟朗だったりするのは、三十過ぎの大人の頭に必要にして十分な電波を送りえたと思われる。フレンダーがたれ耳なのは許容範囲だ。

 フランケンシュタインのブライはつぎはぎだらけで、自分を生み出した人間を憎む。彼らが等しく人類を敵視するのは戦争が原因で、家族と自分の生命を奪われた故であることが少しずつ判明していく。新造人間は人類によって二度、殺されるのである。犠牲者にとって戦争に善悪は存在しない、自分以外は全部“悪”である。

 メッセージはわかりやすいし素直な点は悪くは無いのだが、強いて言えばチト長い。画面が暗いので余計に睡魔を誘発されてしまうのが難点。CGって最初は驚くのだが二番煎じの繰り返しになるととたんに眠くなる。人間の脳みそというのは正直だから。

 国粋主義者がステレオタイプなのにはちょっと笑ってしまうし、兵士がみな精神異常者風なのもいかがなものかとは思うし、肝心なところは全部台詞で説明するし、台詞をつないだだけで運んでいくものだから映画的というよりは芝居的だし。近代は資源と資本の奪い合いが戦争なわけだが、本作品はむしろ手塚治虫の「火の鳥」のように、永遠の命を追い掛け回した為政者たちによって犠牲になった人々の悲しみ、個人(てか私人)にフォーカスを絞ったのでテーマが散逸しなくて結果的には良かったのではないか。

 その分、ネタが小さくなったので延々と、延々と同じコトを繰り返すハメになったのである。ところで「誰かの願いが叶うとき誰かが泣いてる」ってことは大滝秀治の願いが叶うときなのか?と思ったとたんに爆笑してしまったのだが。

2005年08月21日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-08-21