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津軽じょんがら節


■公開:1973年

■制作:斎藤耕一プロ、ATG

■監督:斎藤耕一

■脚本:中島丈博、斎藤耕一

■原作:

■撮影:坂本典隆

■音楽:白川軍八郎、高橋竹山

■編集:大島ともよ

■美術:

■主演:江波杏子

■寸評:中川三穂子、片桐はいりにウリ二つ。

ネタバレあります。


 女は男の故郷である。また、自分を待っている人がいるところが故郷であるとも言う。新人・織田あきらの要領の悪さと言うか、ぼんくらさ加減がいとおしい。

 一家が離散して津軽の貧村を捨てたイサ子・江波杏子は東京でモメ事を起した徹男・織田あきらとともに帰郷する。金と力のない徹男を養うためにイサ子は水商売に。マネージャーの金山・佐藤英夫のもとで一緒に働いていた女が金を持ち逃げ、海で行方不明になった父親と兄の遭難保険ももらえないイサ子。徹男はイサ子の幼馴染で生活力のありそうな豊・寺田農への引け目もあって、盲目の少女、ユキ・中川三穂子と関係を持つ。

 徹男はイサ子よりもユキに傾いていく。自分を所有しようとする女よりも、自分を頼ってくれる女、それも厄介者として取り扱われている女。生活力のある女性というのは男にとってはライヴァルになりかねない。これは恋愛下手の女性には大変に教訓的である、余計なお世話であるが。

 漁師の為造・西村晃のもとで働くようになり次第にたくましくなっていく徹男。一度は金のためにユキを売ろうとした徹男であったが、精神的にも一丁前の男性になりつつあった徹男はもらった金を叩き返してユキを奪還。イサ子は「故郷ができてよかったわね」と言い残し、一人で村を去る。やがて東京から徹男のもとへ男たちが訪ねて来る。

 東京は故郷にはなりにくい。東京の原住民というのが住民総数に比して割合が低いからではないか?それに人の出入りが激しすぎる。精神的な故郷を持たない人間というのはどこか薄ら寒いと言うか、孤独感があるわけで、斎藤耕一はこういう人たちを描くのが好きだ。いわゆるワケありの男女。フレームの外まで広がる荒涼感。そういえば「約束」もそんな感じの映画だった。あっちはマダムゴージャス・岸恵子がものすごく綺麗だったが、本作品の江波杏子も、ソフィア・ローレン似で驚くほど美形だ。

 その美貌が東北の無彩色の世界では異様に際立つ、というよりも化粧からファッションから東京に染まった彼女が決して故郷に受け入れられない現実を知らしめる。徹男はやっと見つけた故郷で、都会からの追っ手によって抹消される。それでもユキをはじめとする人たちの暮らしぶりや、白い波頭は何ら変わることが無い。

 日本海の鉛色の海が延々と、映画全体のBGMは波の音。津軽三味線をこの映画で初体験した人は意外と多いんじゃないか?って筆者がそうなのだが。村の若い衆の役どころで「同棲時代」の上村一夫と仲間の漫画家が出ているらしいのだが誰だかわかんなかった。不明を恥じる、そのスジの方々はどうぞお探しください。

 見るからに幸薄そうな少女(ってほど若くないが)を演じた中川三穂子はこの後、織田あきらがイイトシこいて高校生を演じた「愛と誠」でも共演。ちなみにこの作品における織田の役名は「火野将平」である。女癖が悪い役どころでもあるまいに。

2005年07月10日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-07-10