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五辧の椿


■年度:1964年

■制作:松竹

■制作:城戸四郎

■監督:野村芳太郎

■脚本:井手雅人

■原作:山本周五郎

■撮影:川又昂

■音楽:芥川也寸志

■美術:松山崇

■録音:

■照明:

■特撮:

■主演:岩下志麻

□トピックス:若い頃の加藤剛は伊藤英明にちょっとだけ似ている(かもしれない)。

ネタバレあります。


 なんという現代的な時代劇であるか。幼い頃から母親の淫乱ぶりを見せつけられてきて心理的外傷を負った娘の復讐劇。

 婿養子であるむさし屋の喜兵衛・加藤嘉の女房、おその・左幸子は若い頃から淫乱で、亭主が死ぬか生きるかという状況でも十五六の若い役者・入川保則と乳繰り合うという無神経さにキレた娘のおしの・岩下志麻は父親の遺骸とともに家に火をつけて焼き殺す。

 娘は番頭の徳次郎・早川保が届けた金を元手に名前や職業をとっかえひっかえし、かつて母親と関係のあった男たちを次々と殺害、現場に椿の花を残して姿を消す。本件を担当した与力の青木千之助・加藤剛は手口の残忍さに比較して、容疑者として目星をつけた若い娘の態度にまったく血なまぐさいところが感じられないのに疑問を抱く。

 若い娘の純情潔癖というのは頭の痛い問題で、価値観が多様じゃないだけに始末が悪い。本来なら周りの大人がもっと諭すべきだったかとも思うわけだが、不幸だったのは古い価値観と、とことん乱れてきた当世(って大昔であるが)の倫理観のせめぎあいの中におしのが居合わせたこと。時代の犠牲だったと最後に千之助は石出・永井智雄に進言するのであるが体制批判は許されない、千之助は所詮、体制側の人間である。

 なにも殺すことないよな。亭主が女房を満足させられないのは母親に一方的な責任があったからじゃないんだと、やっとこさおしのが気づくのは女癖の悪い最後の犠牲者、丸梅源次郎・岡田英次の女房が縊死した後。自分が正義の味方ではないことに気がついたおしのが初めて処刑に怯え、自害するまでに何か大人が助けてやれたんじゃないか?と思わず憐憫の情をもよおす千之助。

 お嬢様タイプの岩下志麻が胸をはだけて、しかもたぶんきっと吹替えなんだが、男に体当たりして復讐を果たす役どころというのは観てるほうもビックリしたのではないか?本当に本番で出してたらそれだけで新劇業界の大スキャンダルになったと確信する。いくら岡田英次でもきっと遠慮したに違いない。「いくら」っていうのも失礼だけど。

 火事場での断末魔、なんとか脱出しようと格子の障子をつきやぶって飛び出す母親の白粉まみれの両腕を見つめる顔と、最後に針仕事をしているときのおしのの笑顔のギャップが泣ける。なんでこんな愛らしい娘があんな大胆なマネを、というわけだ。いゆ実際、少年犯罪というのは得てしてこういうモンだろう。それと、終始表情の硬い加藤剛の無愛想さが好対照でいい感じ。

2005年07月03日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-07-03