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楢山節考


■年度:1983年

■制作:東映

■制作:友田二郎

■監督:今村昌平

■脚本:今村昌平

■原作:深沢七郎

■撮影:栃沢正夫

■音楽:池辺晋一郎

■美術:芳野尹孝

■録音:紅谷愃一

■照明:岩木保夫

■特撮:

■主演:緒形拳

□トピックス:1983年 カンヌ国際映画祭 パルムドール賞受賞

ネタバレあります。


 これって本当に「昔話」なのか?まるで新聞の社会面だぜ。

 昔の日本映画を観ていて豊穣な気分になれるのは自然風景の豊かさであり、その多くの場合はすでに失われていて二度と戻ることがないからである。映画はすべて過去であり、そこに映像作家の美学によって切り取られた最高の風景が残っているのは大変にありがたいのである。

 どんなによくできたCGだって三度見れば飽きる。日本の四季をナメんなよ、ハリウッド。

 七十になったら「楢山まいり」をする習わしのある超山奥の村。おりん・坂本スミ子には辰平・緒形拳、けさ吉・倉崎青児、とめ吉・嶋守薫、ユキ、そして凶器のような悪臭を放つ利助・左とん平らの子供がいる。赤貧のこの村では食料泥棒は重罪であり、子だくさんの雨屋・横山あきおは二度目の犯行後、泥棒の血統として一族を根絶やしにされる。その中に、けさ吉の嫁の松やん・高田順子がいた。身ごもっていた松やんをその日に限って実家へ返したのはおりんだった。

 正直で素直な利助が「臭い」という理由でチェリーボーイとして一生を終わるのはあまりに不憫だと思ったおりんは、夫・ケーシー高峰の遺言で村の男全員に身体を提供していた未亡人・倍賞美津子に筆おろしの相手になってもらうことを頼むが固辞される。そこで、おりんはおか婆さん・清川虹子に身代わりを依頼、利助は無事に童貞を捨てるのであった。

 辰平のところへ嫁に来たのは後家になったばかりの玉やん・あき竹城。たくましい働き手である玉やんに家事全般と魚の獲り方を伝授したおりんは思い残すことなくお山へ行く。辰平の背負子に揺られていくおりん、二人はほとんど無言で深い山へ分け入っていく。途中、辰平は忠やん・深水三省が、山行きに激しく抵抗しているボケた父親・辰巳柳太郎を谷底へ思い切り蹴落とす現場を目撃する。おりんを放置した後、雪が降り始め「よかったなあ、雪が降ってきた」と叫んで辰平は一人で山を下りる。

 さてあなた、およびあなたが介護している高齢者とあなた自身の関係を思うとき、辰平母子タイプでしょうか?それとも忠やん父子タイプでしょうか?

 で、捨てられた年寄りたちはどうなるのかと言うと、当然ながら野垂れ死にするわけで、その死骸は山の獣やカラスの餌食になるというまことにエコロジーな循環が行われている。

 姥捨ては子(一族や家族)を守るために母親(または父親)がとる最期の手段と言える。つまりは人のために自分の身を捨てる話なのであって、決して厄介払いの残酷話(現象としてはそう言えないこともないのであるが)というわけではない。母親は子のためなら他人の子供でも平気で殺す、だって他人の子なんだから、というのは極端ですがそういうもんだと思います。深いですな、母子の情愛。

 というわけで平成の日本では、親の説教が気に入らないので蹴りを入れたり、クビを絞めたり、硬いもので頭をカチ割ってみたり、あまつさえ口の中に消化剤ぶち込んで殺すイイトシこいた子供が毎日のように発生している。そういう人たちにとっては合法的に殺人ができる「こんなお山があったらいいのになっ」とでも憧れるのだろうか?いやな世の中だぜ、まったく。

2005年05月08日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-05-15