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死に花


■年度:2004年

■制作:「死に花」製作委員会(アミューズ、テレビ朝日、他)、東映

■制作:横溝重雄、大里洋吉、早河洋

■監督:犬童一心

■脚本:小林弘利、犬童一心

■原作:太田蘭三

■撮影:栢野直樹

■音楽:周防義和、元ちとせ 「精霊〜nomad version〜」

■美術:磯田典宏

■録音:浦田和治

■照明:磯野雅宏

■特撮:

■主演:山崎努

□トピックス:

ネタバレあります。


 芸能界が動くとき、それは大物俳優またはタレントの訃報である。今、おそらく全マスコミ注目の訃報系スタアは間違いなく森繁久彌だ。そういう不謹慎な好奇心にかられた観客にとってこの映画のタイトルでこのキャスティングは剛速球にもほどがある。

 東京都下にある老人ホームにいる菊島・山崎努は元映画プロデューサー。元土木屋の穴池・青島幸男、自称ボヘミアンの庄司・谷啓、元大手銀行の支店長だった伊能・宇津井健。そして源田・藤岡琢也の五人は毎日、釣りや美しい異性との交遊を楽しんでいる。源田には貞子・加藤治子という恋人がいる。ある日、若いヘルパーの和子・星野真里がやってくる。エロジジイである穴池は早速アタック開始。しかし和子のタイプは菊島であった。

 源田は来るべき自分の葬式のために「死に花」という一冊のノートを残していた。そこには大手銀行の金庫を狙った現金強奪計画が記されていた。残された四人はターゲットの銀行の近くの川原に居住していたホームレス・長門勇を仲間に引き入れ、ついでに和子も加わって、映画「大脱走」もビックリの穴掘り作戦を開始する。しかし、折からの台風接近で河川が増水しせっかくのトンネルに水没の危機が迫る。菊島は豪雨の中、現場に急行した。

 老人ホームのメンツが豪華というか、適役すぎるというか。サッカーに興じるトランス状態の高橋昌也白川和子、おそらくは肥満で歩けない小林亜星吉村実子、未亡人で菊島に心を寄せる松原智恵子(は、ともかく、バケモノのように若い)。老醜というには気が引けるレベルから、演技なのか素なのか演技力を超越したリアリティを醸し出すギリギリの人たちまでよくぞここまで招集できたなあ、とある意味感慨深い。

 そして最大の大物は冒頭の白寿の祝いの席上、笑えない芸で笑いを取る森繁久彌である。大丈夫なのか?でもボケとかは全然進んでいないようだし、ボケというよりオトボケなのか?それにしてもこのタイトルは失礼なのでは?いや、案外と洒落てるかも?と思いは尽きない。

 さて、この年寄りたちを銀行襲撃に駆り立てているものはなにか?というと意外にも日常の些細な出来事の積み重ねである。特に観客の納得性の高い動機が見当たらない。つまり、過去の栄光にすがって生きている人たちにとって、年少のクソガキども(老人ホームの職員など)に子ども扱いされることは耐え難いことなのであり、健康そのものが生きる目標になってしまった絶望感に対する焦りなわけで、そうしたディテールを役者の芸で深刻そうに見せないところがブラックユーモアなのだ。

 別に役者の芸におもねっているのではなくて、その芸こそが「過去の栄光」そのものだったりする。つらくないのか?やってるほうは。

 そして判明する、忍び寄る「老い」の現実こそが大仕掛けなジオラマ特撮よりも最大の見どころだと言ってよい。当初の計画が天災によって木っ端微塵になるかと思いきや、壮大なスラップスティックス・コメディ(だって青島と谷啓だからねえ)と、ちょっぴり感傷的なオチが準備されているので損はさせない。

 岡本喜八監督の秘蔵っ子、葬儀屋・ミッキー・カーチスのスマートなジジイのカッコよさにシビレましょう。おそらく、最も目標とすべき歳のとり方をしているのはミッキーさんに違いない。不良老人恐るべし。

2005年05月04日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-05-05