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いかレスラー


■年度:2004年

■制作:「いかレスラー」製作委員会、ファントムフィルム

■製作:叶井俊太郎、河崎実、山田宏幸

■監督:河崎実

■監修:実相寺昭雄

■脚本:右田昌万、河崎実

■原作:河崎実

■撮影:長野泰隆

■音楽:石川修一、石井雅子

■造形:坪井浩一

■録音:

■照明:小山田智

■編集:

■主演:

□一言批評:協力「よっちゃん食品工業」(爆)

ネタバレあります。


 どんな超常現象が発生しても映画の世界では許されるのである。しかも、あきらかに「いか」なのに清貧を旨として誠実に全身全霊をかける「いかレスラー」の人格者たるところが周囲に尊敬すらされ、違和感なく、むしろナイスガイである。

 超日本プロレスのチャンピオン、田口・AKIRAがベルトを奪取した直後、リングに乱入したのはなんと直立歩行する「いか」だった。なにせ「いか」であるから骨が無いので関節技は効果なし。どう考えたってあり得ないのだが世間は「いかレスラー」の強さを認める。そしてプロレス界を追放された「いかレスラー」には地元商店街に後援会ができるまでになる。

 「いかレスラー」の正体は元トップレスラーだった岩田貫一・西村修。不治の病を克服して格闘家として復活するために手に入れた軟体動物の肉体。田口の恋人、美弥子・石田香奈はかつては岩田の恋人だったため、「いか」とよりを戻しそうになっている恋人の存在もあいまって田口は若手レスラーを相手に「打倒いかレスラー」の特訓を続けるのであった。

 こんな美味しい素材を興行界がほうっておくはずが無く、まさに「如何物食い」のドリームマッチに各界の大物・なべやかん高山善廣テリー伊藤船越英一郎らが続々とコメントを発表。だが、メキシコの桃源郷で地獄の修行を積んだ「いかレスラー」の身体には性欲という煩悩が最大の敵なのであった。

 かつてのプロレスブームを期待する、美弥子の父、竜之介・中田博久と「いかレスラー」のコーチ、千山・きくち英一、そして超日本プロレスの社長・ルー大柴は「いかレスラー」と田口の再戦を決定するのだった。千山はライバルの田口をこともあろうに「たこレスラー」にしてしまうのだった。カブリモノ対カブリモノの世紀の対決がとうとう始まった。

 「いか」が人間に退化した後は、カブリモノで動きが鈍かったうっぷんを晴らすように本来のプロレス技を展開する岩田貫一。「しゃこボクサー」の強烈なパンチに倒されながらも立ち向かうその姿に観客の心が一つになるのだった。そして「しゃこボクサー」の正体は・・・。

 物凄い馬鹿馬鹿しい映画だ。ま、映画なんて大体が馬鹿馬鹿しいものであるが、ここまで徹すると、大の大人が真剣に、真面目に展開する本作品は客のためにまさに身体と常識を張った映画として尊敬していいという気になる。毒をもって毒を制す。「いか」とくれば「たこ」だろう。なんという素直さ、なんと言うわかりやすさ、筆者はこういう映画が大好きだ。

 最後に登場する「しゃこボクサー」(「えびボクサー」ではそのまますぎるため)はどう見てもペガッサ星人とゴドラ星人の合体なので、本作品がターゲットとする観客層は、着ぐるみプロレスこそ後期の怪獣映画のスタイルであり、監修が実相寺昭雄であるからして、昭和の特撮ヲタクであることは明白な気がする。「いかレスラー」の中身は破李拳竜だし。

 キャプテンウルトラと帰ってきたウルトラマンが連れションする姿は、昭和特撮ヲタクの脳に濃い電波を送ることであろう。ちなみにこの二人は日芸(日本大学芸術学部)の出身なので筆者の大先輩様なのである。もう、これだけでも本作品は名作として称えねばならない。学閥というのはそういうものだ。

2005年03月27日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-03-27