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弟切草 OTOGIRISO


■年度:2001年

■制作:東宝

■製作:原正人、小川真司、仙頭武則

■監督:下山天

■脚本:中島吾郎、仙頭武則

■原作:長坂秀佳

■撮影:小倉和彦

■音楽:吉田朝子、Kanon screen music foundation、他

■美術:磯貝俊裕

■録音:堀内戦治

■照明:小山田智

■編集:

■主演:奥菜恵

□一言批評:

ネタバレあります。


 人を驚かせたいのか?怖がらせたいのか?両方なのか?それとも、脱力してほしかたっただけなのか?ハッキリしてほしいものである。タイトルが映画の重要なキーワードになってるのはミスリードを誘ったりする目的なら奏功だと思うが、オチが速攻で読めてしまうというのはどうだろう?予定調和のお化け屋敷だと思えばそれもまた良しとすべきか。

 明らかに他人様のテリトリーであり、かつ、わけの分らないところへずかずかと土足で上がり込んだり、得体の知れないバッチイ(かもしれない)ものを勝手に持ち帰ったりするのは、アメリカ人だけかと思っていたが最近は日本人もやるようになったらしい。

 仮にも、だよ、いくら実父とはいえ会ったことも無い人の邸宅を、相続人である娘が訪れるにあたり、無遠慮に書物や調度品をあさりまくるというのはいかがなものか?たとえそうしないと話が進まないという必要に迫られていたとしても、お行儀悪いったらありゃしない。それにだ、日本女性は一体いつから明らかに使われていなかったような古ぼけた水道の、蛇口をひねれば錆びて赤茶けたくらいならまだしもミミズやゴカイが大量に降ってくるかもしれないような小汚い浴室で平然とシャワーを浴びるようなウスラトンカチな行動をとる様になったのか?これが「ゆとり教育」の末路なのだとしたら、早速に考え方を改めねばなるまい。

 あ、さて本題です。

 ゲームクリエイターの元カレと一緒に、正体不明の実父の遺産である洋館を訪れた奈美・奥菜恵と公平・斉藤陽一郎は、奈美の父親が階沢蒼一・ミノルであり、奈美に双子の兄弟だかがいたらしいという証拠っぽいものを発見する。錯乱する奈美、突然の豪雨で帰り道は土砂崩れ、頼みの自動車も破壊してしまい洋館に一泊せざるを得なくなった二人。

 公平は自らが経営する、公平はITベンチャーの若きエグゼクティヴなのだ(なわけないが)、ゲーム制作会社の仲間である透子・松尾れい子、真一・大倉孝二に携帯で洋館の内部映像を送信、透子は断片的な映像をマップ状に構築し、管理人部屋らしき部屋の存在を突き止める。

 そこには洋館の内部をくまなく監視できる設備が整えられていた。やっと見つけた管理人はすでに死体になっていた。謎の作家、階沢はどうやらこの洋館でトンでもない大量殺人をしていたらしく、その犠牲者とおぼしき子供のミイラが続々と発見されるに至って二人は完全にパニックに陥る。

 こんな危機的な状況にあっても過去の別れ話を持ち出して公平に恨みつらみをぶつける奈美。ったく、そういう人としての器量の小ささがフラれた原因なんだってば、気づけよ、呆け!(おいおい、そういう映画じゃなかろうに)。舞台経験も豊富な奥菜恵の若いに似ず立派な「作りこみ」の演技と見事な活舌は素晴らしい、こんなしょっぱいプロットじゃなくてもっと身体を張れる場を提供してあげたかったと、残念至極。

 画面に出てくるのは生身と実物だが絵柄はゲーム画面のよう。天然色はほとんど登場せず人工的な色彩のビデオ画面が目新しいが眼が疲れてかなわん。

 見終わって、この奇妙な経験をちゃっかりとビジネスに生かすベンチャー公平の商魂のたくましさのほうが印象深いのであるが、それも、なあ?

2005年03月26日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-03-27