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Dolls ドールズ


■年度:2002年

■制作:バンダイビジュアル、TOKYO FM、テレビ東京、オフィス北野、松竹(配給)

■製作:森昌行、吉田多喜男

■監督:北野武

■脚本:北野武

■原作:

■撮影:柳島克己

■音楽:久石譲

■美術:磯田典宏

■録音:堀内戦治

■照明:高屋齋

■編集:北野武、太田義則

■主演:菅野美穂、深田恭子、松原智恵子

□一言批評:やっぱ大正生まれの男はダンディだねえ、いくつになっても。

ネタバレあります。


 交通事故って怖いなあ。

 「浪花の恋の物語」は300年前に作られた近松門左衛門の 「冥途の飛脚」「恋飛脚大和往来」を人形浄瑠璃と歌舞伎とドラマ(実話)という3つの世界で描いた内田吐夢監督の作品。本作品は「やるせない今時の日本の男女関係」について、人形芝居と人間芝居を織り交ぜて3つの恋のおわりを物語ります。

 平成の若い衆は封印切りではなく元彼女のために結婚式をドタキャンします。松本・西島秀俊はさる令嬢との結婚式の当日、婚約を解消した恋人の佐和子・菅野美穂が自殺未遂の挙句に精神に異常を来たしたことを知り、式場から飛び出して病院から佐和子を連れ出し二人きりの道行きを始めます。

 老境に達したやくざの親分・三橋達也は若い頃(津田寛治)に捨てた恋人の良子・松原智恵子と再会します。彼女は年齢を超越した若い娘のような格好をし、とうに行方不明になった恋人を、お弁当持参で約束した公園のベンチで今でも待っているのでした。親分は身分を明かさずに良子とデートを重ねます。

 交通事故で片目を失明してしまい引退した元アイドル・深田恭子の熱狂的なファンだった温井・武重勉。同じく熱烈なファンだった男に対してライバル心に燃えた温井は「顔を見られることを怖れる」彼女のために、「春琴抄」の佐助のように両目を潰してしまいます、その前にアイドルの顔をしっかりと網膜に焼き付けて。再会したアイドルは温井のことを覚えていました。

 若き日の親分@北見次郎(じゃなくて)に裏をかかれて返り討ちにされたヒットマンがエレベータのドアにガンガン挟まれる姿を見て「黒い牝豹M」の石橋雅史を思い出してしまいましたが(おい、おい)、それはともかく。

 唐突な死というのものは、特に本懐を遂げた後に何の未練も残さない状態で散っていく男子には華がありますな、まるで交尾の後に雌に喰われるカマキリの雄のように、例えが悪いですかね、でもそんな感じなんですよ、この作品の男子たちは。

 「ちょっと頭の壊れた、またはオカルト化した女(の役)」のトップアスリートである菅野美穂はもうこの道の大ヴェテランと言えるのではないでしょうか?本作品には3人の「壊れた女」が出てきます。一人は精神、一人は顔面、もう一人は記憶。三番目の彼女の場合は確信犯なのかそうでないのか、微妙な味付けになっています。やはり大人の恋愛には一日の長があるということでしょうか。

 狂言回しの松井と佐和子のエピソードは、何年か前に実際に起きた、亡くなった奥さんの遺体を乗せたまま車の中で生活していた人の事件を思い出しました。悲劇的な末路であっても世間のしがらみを一切捨てて好きな人のそばにいるために全力を注ぐ二人の関係に、鼻白むものを感じつつも、ショッパイ過去の思い出を重ねてしまう観客は多いはず。

 エンディングを作者や観客の目、つまり人間の目ではなく人形の目にしたところにメルヘンを感じつつ、同時にうわっすべりの甘ったるさも感じてしまうとともに、どん底まで落ちた客のマインドを「救う」気配りが嬉しくもあり。

 現代版人形(ひとかた)浄瑠璃。「砂の器」の川又昴が日本の四季の素晴らしさを称えたとおり、俳優の芸と様式美に根ざした映像美による内田吐夢監督と比較したとき、本作品のロケーションの美しさは奇跡的なのでそこんところには特に百点満点。映画は劇ではなく映像の文化、それがこの監督の魅力であり限界、「やさしさ」も含めて。

2005年03月13日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-03-13