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東京原発


■年度:2002年

■制作:

■製作:中島仁、三宅澄二、永江信昭 、秋元一孝

■監督:山川元

■脚本:山川元

■原作:

■撮影:北澤弘之

■音楽:崎谷健次郎

■美術:稲垣尚夫

■録音:米山靖

■照明:内原真也

■編集:阿部亙英

■主演:役所広司

□一言批評:

ネタバレあります。


 ヤバイ映画とは、表現や描写の方法が嫌悪感をもよおす(つまりゲロ吐きそうになる)からヤバイという場合と、ネタが公序良俗に反するとか犯罪を助長するとか為政者にとって都合が悪いとかそういう場合に大別できるのではないでしょうか。本作品は間違いなくヤバイ映画でありますが、前者のヤバさではなく後者のヤバさなのでいたいけなお子様も堂々とご覧ください。ちなみにもう一つ、客から「金かえせ!」とスクリーンにバナナの皮の一つもたたきつけられたりロビーのポスターをちょろまかされて「これで元は取ったぜ!」などとうそぶかれそうなヤバさも無きにしも非ずではありますが、本作品とは直接関係がなさそうなので省きます(なら言うなってことですが)。

 タイトルだけで、この映画は勝ったも同然であります。

 この映画は実に映画的ではありません。映像がまったく語らず、新劇くずれ(アングラ出身含)が台詞で絵をつなぐだけの「劇」です。大掛かりな啓蒙コントです。新劇俳優のくせに台詞が棒読みでヘタクソです。エロキューションがヘタクソなのではなく(むしろ抜群に上手い)独白にも演説にも歌にも詩にもなっておらず単なる台詞であるからです。

 しかしながら、うそ臭い現実またはリアリティのある絵空事をやらせるためには新劇俳優のほうが適材なのだということを痛感させられたのも事実であります。

 ハッタリの効いたパフォーマンスで人気のある東京都の天馬都知事・役所広司が東京に原発を誘致しようと言い出します。副知事・段田安則をはじめとして労働局長・平田満、環境局長・吉田日出子、財務局長・岸部一徳、都市計画局長・菅原大吉、報道局長・田山涼成は大慌てします。「受益者が地方にリスクを押し付けるのはけしからん」という宣言に胸が熱くはなるものの「犠牲の大きさ」から推し量っていかがなものか?と主張する人もいましたが「人の命を数で計るな」という知事のアジに都庁幹部一同は決意をするのでした。

 その頃、原子力安全委員の松岡・益岡徹は国家機密のプロジェクトとしてプルトニウム燃料をお台場に荷揚げしていました。原発誘致反対派の副知事が招聘した東大の教授・綾田俊樹が、原発の危険性や日本の電力政策のいいかげんさなどを冷静に説明していたとき、プルトニウムはクール宅急便のような気軽さで都内に向かっていました。

 運搬を担当していたのはリストラされた田舎のサラリーマン・塩見三省、彼は不慣れな東京で迷子になってしまいます。ぶち切れた松岡が運転手を怒鳴り散らし、駐禁くらっていたそのスキに、爆弾マニアの少年、透・後藤昴がお手製の爆弾を持参してトラックに乗り込んでしまいます。インターネットを駆使して天馬都知事にアクセスしてきた少年は事件のテレビ中継を要求します。

 プルトニウムを積んだトラックは都庁へ向かってまっしぐら。起爆スイッチが作動してしまった爆弾、やけくそになる運転手、でかいことをやってみたいクソガキ、都庁舎内を走り回る都庁職員とNHK、からくも大惨事をまぬがれた直後の記者会見で天馬都知事は原子力発電所の東京誘致を発表するのでした。

 「ジャガーノート」のパロディはさすがに古すぎるような気がしますが、なかなか緊迫感があってよかったです。なにせ他のシーンがユルユルなので。役所広司の職能を超越した活躍は「新幹線大爆破」のスーパー国鉄職員、千葉真一もビックリです。

 酔っ払いサラリーマンは無敵です、なにせ失うものが何も無い(単に忘れているだけですが)上に理屈が通じません。犯罪に憧れるクソガキなどとうてい太刀打ちできるわけがありません。キレる子供よりも、キレた大人のほうがいかに恐ろしいかという、この映画の最大のメッセージはそこです。製作者の意図とは関係なく。

 日本の原子力政策というものが相当にいいかげんであろうことは、事故が起こる度にオタオタする人たちの態度を見れば明らかです。少なくとも誠実に事を運ぶ人間ならばきちんと謝るでしょうから、まずは隠蔽工作に走る輩というのは概ねそういうもんだと思います。

 理路整然と、国民がその事実を確認するだけでもこの映画を観る価値があるかと思いますので、ぜひ学校の視聴覚の時間にでもみんなで見てください。ただし、よい子はともかく悪い子がまねするといけませんので先生方は存分に注意をなさってください。

 劇場型犯罪事件映画の草分け(か?)「東京湾炎上」を彷彿とさせますが、ケレン味と特撮がふんだんにもりこまれエンターテインメントとして一応成立していた先の作品に比較して見せ場に欠けるところがツライです。が、最後の最後にこの映画がブラックユーモアとして成立してしまいました。ある程度予測できたとしても、救いようのないエンディングには本当に背筋が凍りました。

2005年02月26日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-02-27