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狼と豚と人間


■年度:1964年

■制作:東映

■企画:吉野誠、吉田達

■監督:深作欣二

■脚本:佐藤純彌、深作欣二

■原作:

■撮影:星島一郎

■音楽:富田勲

■美術:藤田博

■録音:岩田広一

■照明:銀屋謙蔵

■助監:

■主演:高倉健

□トピックス:犬殺しのシーンがあるので犬好きな方はご覧になりませんように

ネタバレあります。


 組織に蹂躙される個人の抵抗というのが深作欣二監督のライフワークですが、一見するとアナーキーで無秩序に見えながらも計算されつくした「仁義なき戦い」と同様に、集団劇を徐々に三人、二人、一人へと絞り込んでいく巧みな映像展開にグイグイと引き込まれてしまいました。

 うんこの匂いがたちこめる貧民窟にある実家の金をちょろまかして家出した、三兄弟の長男、市郎・三國連太郎、次郎・高倉健、そして残された痴呆の母親のシモの世話を死ぬまで続けた末っ子の三郎・北大路欣也。数年後、市郎は組織暴力団の構成員になってのし上がり、次郎は一匹狼のやくざになり、三郎は愚連隊・岡崎二朗石橋蓮司の一員になります。

 金持ちの情婦・中原早苗とくっついた次郎は海外逃亡資金をゲットするためにかつての仲間、水原・江原真二郎とともに市郎が所属している組の金と麻薬を強奪します。

 次郎に協力した三郎は獲物を横領しどこぞへ隠してしまいます。次郎と水原は愚連隊のヤサである住み慣れた貧民窟へ乗り込み、一味のアバズレ姉ちゃんのマコ・志麻ひろ子をリンチして三郎の居所を吐かせようとします。そこへ帰って来た三郎と愚連隊は次郎にだまされたことを知りますが、次郎と水原は、三郎とその仲間たちを一人ずつ、タコ殴り、万力による指潰し、あらゆるサディスティックな手法で拷問しその悲鳴に怯えさせて金の在処を吐かせようとします。しかし、途方もない貧乏と暴力を浴びて育ってきた若い衆たちは仲間を庇って誰一人として口を割りません。

 主犯が市郎の身内であることを知った組は市郎に弟たちの抹殺と麻薬と金の奪回を命じます。次郎はケツを割ろうとした水原を射殺します。三郎と次郎、そして杏子、愚連隊の全員が説得に来た市郎と敵対します。やがて、役立たずの市郎を見限った組は貧民窟の住民が遠巻きにする中で圧倒的な組織力でもって次郎以下、愚連隊を射殺。一人残された市郎は兄弟を失い、金の所在を突き止めることもできず、組織にも見捨てられて現場に取り残されていました。市郎はかつてクソ呼ばわりをした近所の住民に死んだ鼠や石をぶつけられて去っていくのでした。

 本作品は愚連隊たちが三郎の母親の遺骨を海に投棄し、精進落としと称してゴミ捨て場で野良犬をぶち殺して解体し、意気揚々と鍋にして食ってしまう場面があるために(それだけじゃないでしょうが)およそ地上波での放送は困難と思われます。

 狼=健さん、豚=三國さん、人間=欣也さん。人に飼われて生きる者、一人で生きようとする者、人間らしく生きたいと願う者。最後に残った組織の豚は何もかも失います。深作欣二監督の怨念を一身に背負った三國連太郎の底冷えのするような存在感が圧倒的であったのですが、実は多くの観客の共感を誘ったのは彼ではなかったのでしょうか?健さんにも欣也さんにもなれない、豚でも良いから息災に生きていかなくちゃならない市井の人たちにとって刃を突きつけるのが本作品です。

 従いましておよそ興行的にはいかがなものか?という気がしますが直球勝負な骨太感は今見てもまったく色褪せていません。

 いつもはその迫力のある面相をさらに歪めて観客を恐怖のどん底に突き落とす(そんな・・・)沢彰謙がいっぱしの大親分という役どころなのが珍しかったです。しかしなんですな、健さんってこういう超暴力映画に出てくると思いっきり浮いてしまいますね。本当に育ちの悪そうな(そう見えるように芝居ができる)江原真二郎と三國連太郎の人間味溢れすぎのキャラクター造形に比較するとなんだか割り食ってるような気がします。

 ところで深作欣二監督の映画に出てくる中原早苗は素材のわりに(庶民的っていう意味ですが)は不思議なほどに「モテモテ」だったり「一言居士」な役どころが多いような気もしますが、それは小野田嘉幹の作品に出てくる三ツ矢歌子が決して脱がなかったのと同じ理由かと思われます。年齢的には許容範囲であったにもかかわらずビジュアル的にはセーラー服がコスプレにしか見えなかったゴッド姉ちゃんですからね。

2005年02月05日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2005-02-06