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あゝ特別攻撃隊


■公開:1960年

■製作:大映

■製作:武田一義

■監督:井上芳夫

■脚本:長谷川公之

■原作:

■撮影:渡辺徹

■音楽:大森盛太郎

■美術:下河原友雄

■主演:本郷功次郎

■トピックス:

ネタバレあります。


 戦争映画というのは、ほぼ自国の良かった事を描くもので、敗戦国だからといって自己批判する映画というのはなかなか難しいものです。そもそも勝てば官軍というのは市井の人々としては納得しがたいものがあり、職業軍人以外は理不尽な暴力に対してムカついてますから「水に落ちた犬を打つ」ような映画は胸くそ悪いわけです。戦勝国にしてみれば自分たちのことを悪く言うのは盗人猛々しいということでこれもやっぱり胸くそ悪いし、負けた国に殺された兵隊の遺族はさらに、ということになりましょうか。

 てなわけで、今頃作った日にやあ占領国や関係諸外国の皆様から「自分たちの都合の悪いことが一切描いてないじゃないか!」てな批判にでも晒されそうな本作品であります。

 じいさんとガキばっかしになった大戦末期の日本で、あまり高等な技術が不要でかつ戦果を挙げられる策はないか?ということで考え出されたような「神風特攻」に駆り出されていく学徒動員された人たちの話です。

 海軍少尉の野沢・本郷功次郎は学校の図書館で、古本屋の娘、令子・野添ひとみと知り合います。令子は野沢に一目ぼれ、相合傘して帰った二人は途中で海軍の仕官に発見され、野沢はビンタされます。海軍さんが傘さして歩くのはけしからんということですね。

 学徒動員の同期とともに茨城の特攻基地へ送られた野沢に対してバリバリの士官学校出の小笠原少尉・三田村元はいちいち突っかかってきます。独語で「喜びの歌」を合唱する野沢たちに「同期の桜」で応戦する小笠原。野沢の同期の林・野口啓二は芳江・吉野妙子と結婚します。野沢のところへ母・瀧花久子が訪ねて来ます。「特攻隊なのでもうすぐ死にます」とはとても言えない野沢は母を駅に見送ります。

 同期が先に出撃します。林を見送る芳江は喪服姿でした。

 いよいよ野沢も小笠原と一緒に出撃する日が明日に迫ります。野沢は恋人の令子に逢うために東京へ帰ると、令子は勤労奉仕で工場へ行っています。その夜、工場が爆撃され二人は防空壕へ避難します。「もうすぐ死んじゃうから」ってことで令子のアプローチを野沢が拒んだので絶望した令子は外に飛び出して空爆されて死んでしまいます。翌朝、野沢は集合時間に大遅刻、しかしそこへ空襲警報、野沢は「戦争で死ぬ目的」を見出したとたんに乗る飛行機をぶっ壊されてしまいます。

 頭が勝ちすぎている野沢は、軍国少年まっしぐらの小笠原と常に対立しています。戦争で死ぬ目的が見出せない野沢と、ソレ以外何も考えられない小笠原、戦争の悲劇の一つがコレで、かつ、一番やっかいなのは人の心です。この映画は昭和20年の2月の時点で終了します。あと半年ちょっとで戦争は終わっちゃので、野沢をかばって怪我した小笠原はひょっとすると生き残っちゃったかもしれません。

 「運命のいたずら」の白黒がもっとも激しく出るのが戦時下だと思われますが、それにしてもこういう人が日本中にゴロゴロいたであろうというのが平時に生きている観客から見ると想像を絶します。そして今も世界のどこかに確実に存在するということに気づかされるわけです。

 特攻を命じた人の幾人かは生き残って戦犯にもならず恩給もらってる人もいるでしょう、働き盛りに突っ込んで遺骨も拾ってもらえない人もたくさんいるでしょう、命が助かったことを「いたたまれない」と悔やんでいる人もいるでしょう。野沢が母親に言う「戦争だから仕方ないよ」という台詞が耳について離れません。

 自分の親兄弟の話と、写真でしか知らない祖先の人たちの伝説とじゃあ体感温度が桁違いだということです。昨日今日、いきなり知り合いを戦争でもっていかれた人たちが作ってるわけですから、そりゃもう平和の御世のセンスじゃ計り知れない感情があるでしょうし、ましてや死者に無礼なことはできないわけです。

 理屈じゃないんですよ、どこの国の戦争映画も。

2004年8月11日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2004-08-11