「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


江戸っ子繁昌記


■公開:1961年

■製作:東映

■企画:小川貴也

■監督:マキノ雅弘

■脚本:成澤昌茂

■原作:

■撮影:坪井誠

■音楽:鈴木静一

■美術:鈴木孝俊

■主演:中村錦之助

■トピックス:「お江戸でござる」よりも面白くてタメになる(かもしれない)江戸町人文化のお勉強。

ネタバレあります。


 落語の「芝浜」は酒で身を持ち崩した魚屋が拾った大金の入った革財布を女房が隠して「夢でも見たのか?」と言い張り、数年後、性根を入れ替えて働き者になった亭主に事実を話して財布の金で酒でも飲もうかと言うと「また夢になるといけねえ」という話。「番町皿屋敷」は旗本・青山播磨が奉公していたお菊が家宝の皿を割ったので手討ちにし、井戸へ落ちたお菊の幽霊が毎晩、皿を数える話。

 本作品はこの2つの話を合体した筋立てになっています。

 妹のお菊・小林千登勢が旗本の青山播磨・中村錦之助に見初められ、月々の手当てやらなんやらで大金が手に入ったためろくすっぽ働かなくなった魚屋の勝五郎・中村錦之助(二役)は、女房のおはま・長谷川裕見子に懇願され渋々と芝浜へ仕入れに行きます。しかし、おはまが時刻を間違えたので河岸にはまだ人っ子一人いません。顔でも洗おうと浜に出た勝五郎はそこで大金の入った革財布を拾います。早起きは三文どころか百両の得だったので、浮かれた勝五郎は長屋の金太・千秋実、虎吉・桂小金治と大酒かっくらって寝てしまいます。

 おはまは、こんなに楽して大金を手に入れてしまっては勝五郎がまた働かなくなると心配し、こっそり財布を長屋の大家さん・坂本武に預けます。大家さんは財布を奉行所へ届けました。目覚めた勝五郎は「財布を拾ったのは夢だった」と聞かされがっかりします。

 お盆のある晩、しばらく連絡のなかったお菊が勝五郎の家にやってきます。喜んだ勝五郎でしたが、お菊はおはまの目の前で忽然と消えてしまったのでした。青山家の用人からお菊が不手際をしでかし手討ちになったと聞かされた勝五郎は播磨に会いに行きます。播磨は勝五郎に真相を話し、お菊を斬ったことを詫びます。旗本と町奴との大喧嘩で火事を起こした責任を取らされた播磨は、町方に屋敷を取り囲まれます。将軍家に迫害され、お菊を手にかけてしまった播磨は、旗本家の取り潰しに対抗し壮絶死します。

 武家社会のしがらみで死んでいったお菊と播磨をかわいそうだと思った勝五郎はすっかり真面目な働き者になります。半年後、おはまは落とし主が現れなかったので返却された財布を差し出し真実を話します。勝五郎はおはまと大家さんに感謝し、大金を神社へ寄進、火事で焼け出された人たちの救済に使うのでした。

 映画の冒頭でいきなりお菊さんが播磨に殺されてしまい、今見てる作品って「番町皿屋敷だったっけ?」と思いますが、これが勝五郎の正夢。錦之助は白塗りと魚屋という正反対のキャラクター二役を演じ分けますが両方とも十八番ですから大変、楽しそうに演じます。勝五郎が仕入れに行くときにアレコレ(本当は行きたくないから口実を見つけるために)女房に仕度についてチェック入れるところは完全に落語の世界。一方、青山播磨と旗本連中の描写はクライマックスの大捕物の場面まで娯楽時代劇のピカピカな世界。

 二つの社会の対比の鮮やかさ、理不尽な武家の暴力に対して泣くしかない町人の悲哀がジメジメとせず、勝五郎が「お菊と殿様の供養だ」と大金を寄進し、庶民パワーの力強さがみなぎってるところが爽快で、ちょいと涙ポロリ、でした。二役の錦之助もよかったですが、女房をやった長谷川裕見子の控えめな「色気」と子供っぽい亭主を包み込むような「母性」の両方でよい味わいでした。革の財布を預かってドギマギするところのコメディアンヌぶりもグッド。

2004年07月04日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2004-07-04