「日本映画の感想文」のトップページへ

「サイトマップ」へ


誇り高き挑戦


■公開:1962年

■制作:ニュー東映

■企画:亀田耕司、加茂秀男、矢部恒

■監督:深作欣二

■助監:

■脚本:佐治乾

■原案:

■撮影:星島一郎

■音楽:河辺公一

■美術:荒木友道

■主演:鶴田浩二

■トピックス:

ネタバレあります。


 かつては大新聞の記者として活躍し、進駐軍内部の汚職を暴露する取材の果てにリンチされて葬り去られ、業界新聞の記者に成り下がった黒木・鶴田浩二が、助手の畑野・梅宮辰夫とともに東南アジア方面へ密かに武器の密輸を行っているらしい三原産業を訪問します。そこで黒木は昔、自分をリンチした進駐軍の諜報部にいた男、高山・丹波哲郎の姿を発見します。

 民族文化の紹介という触れ込みで来日し、革命によって祖国を追われたという亡命者の一団の中にいたハーフのマリン・楠侑子は高山とデキていました。彼女とその仲間は反革命派として武器を買い付けに来ており、高山は彼らと取引しようとしていたのでした。

 黒木は高山の計画を見抜いて取材を開始しますが早速、命を狙われます。黒木が可愛がっていた弘美・中原ひとみは負傷した米兵・チコ・ローランドの面倒を看ていましたが、黒木に協力したために精神病院へ入れられ発狂させられてしまいます。そこは高山のアジトで、黒木も捕らわれますが、実は反革命なんてどうでもよくて一人だけ助かりたかったマリンが裏切ったおかげで黒木は脱出に成功します。

 高山はマリンの居所を革命派に通報、マリンは殺されます。高山は革命派に武器の密輸ルートを教えて双方から金を取ろうと画策します。黒木はその時々で「儲かる方につく」という高山の生き方を軽蔑し、国際的な死の商人の組織を暴こうとします。高山はなんとなく自分の末路を予感していて、黒木に告白しようとした矢先、蜂の巣にされ車でバカスカ轢かれて惨殺されます。やくざの縄張り争いとして片付けられ、またもや闇に葬られた真実に、高山は怒りを込めて国会議事堂を見据えるのでした。

 パンパンの情死事件として処理された殺人事件の被害者の汚名をはらそうとしてリンチされた傷があるため、映画のほぼ全編にわたり鶴田浩二はサングラスをかけています。企業ゴロの脅迫ツールとして活躍していたその黒眼鏡ですが実は、巨悪に粉砕されたかつての自分の弱さを隠すための小道具でもあります。現実に押しつぶされた鶴田浩二と、現実を利用した丹波哲郎の対照的な生き方がクロスした瞬間に圧倒的な暴力が襲い掛かり、丹波哲郎は死んでしまいます。

 生涯、太平洋戦争を引きづった鶴田さんと、GHQの通訳を経験したことがある丹波さんの実人生と重ね合わせてしまうのは邪道でありますが、これも不思議な巡りあわせと申せましょう。

 鶴田さんがやった新聞記者役といえば「電送人間」が有名(か?)です。アレを見ていた時も思ったのですが、いっぱい喋らせるとどんどん軽くなってしまうタイプの人なので、この映画でも最後のほうで声高に正論を吐く黒木が物凄く頭の悪い人に見えてしまいます。それに対して、丹波さんは目の前にあることしか反応しませんから、ことさら語る必要もなく寡黙で、観客の思い入れは、朝鮮戦争の記憶が生々しい当時ならいざ知らず、後世の客である筆者としてはほぼ100パーセント丹波さんのほうへ持っていかれてしまいます。

 議事堂を見つめる黒木がサングラスをはずしたとたんに、目を開けていられないほどのまぶしさに包まれるというのも、なんだかイイトシこいてやっと現実を見えるようになった人という風に見えてしまい、あまつさえ大空真弓に「あなたが好きな目の前にいる私のことが見えてない」と小便臭い説教までされている鶴田さんを見ていると、ちょっとナサケナイ気がしないでもありません。

 「戦後の日本人」を体現した主役二人(あえて)の対比、ともすれば感傷的になりがちな「戦中派」映画が多い中、戦争が打ち砕いた日本人の「何か」をものすごくドライに表現したという点で、湿っぽくならないところが実に今日的な映画でありました。

2004年06月27日

【追記】

※本文中敬称略


このページのてっぺんへ

■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2004-06-27