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水戸黄門


■公開:1960年

■製作:東映京都

■企画:坪井与、辻野公晴、中村有隣

■監督:松田定次

■脚本:小国英雄

■原作:

■撮影:川崎新太郎

■音楽:富永三郎

■美術:川島泰三

■主演:月形龍之介

■トピックス:

ネタバレあります。


 「水戸黄門」映画はたくさんあるが、筆者が気に入っているのはた本作品と「水戸黄門 天下の副将軍」いずれも監督は松田定次。松田監督の映画はとにかく走る、走る、善玉も悪玉もダイナミックに走る、ワイドスクリーンをフル活用。

 時代劇が普遍的な魅力でもっていつの時代でも迎え入れられるのは、武家社会の構図が現代サラリーマンのソレとよく似ているからではないか?

 文系の将軍、綱吉・伏見扇太郎が芸術活動=舞踊に熱中して政治=経営に身を入れない間に、重役たちが、将軍家安泰のためアンチ徳川派の外様大名がばかすか取り潰し、しかも放り出された元社員である武士たちは再就職が禁止されてるため、しかたなくフリーターとならざるを得ないのだが、メンツにこだわりアルバイトもままならない人も多く、失業者は増える一方。不満がたまれば犯罪増加、やがてはクーデターへ発展するわけで、ここはひとつ、経営責任はないが相談役になった水戸黄門の出番である。

 水戸黄門・月形龍之介、以下、助さん・東千代之介、格さん・中村賀津雄のトリオが、直情径行の町火消し、放駒の四郎吉・中村錦之助、北国出身の浪人、井戸甚佐衛門・大友柳太朗のボケとツッコミコンビとともに、水戸黄門の息子である水戸中将綱条・大川橋蔵を支援し、由比正雪ジュニア・五味勝之介(五味龍太郎)を担いで幕府転覆を図った金井将監・山形勲らを打ち倒し、ついでに就職難民たちにチャンスを与えるように、将軍を説得までしてしまうまで。

 たいていは、身分を隠して調子こいた悪者どもをだまし討ちにするのが水戸黄門の常套手段。そのため筆者は「なら、最初から身分を明かして事件を未然に防止すりゃいいじゃん!」とか思ってしまうのでテレビ版のほうはあまり好きではないのだが、今回は謎の人物・片岡千恵蔵のどんでん返しもあったりして、水戸黄門が「してやったり」返しをされるのが良い。

 ただでさえ、勧善懲悪、善玉の絶対的勝利が確信されるドラマなのに、善玉サイドに黒川弥太郎はともかく、あの、デッカイ体で殺陣の上手い戸上城太郎まで入れてしまうのはやや反則な気がしないでもないが、集団チャンバラの迫力がグンとアップしたので結果的にはオーライである。

 この映画は細部もデリケート。急を聞きつけて集まる悪玉サイドの浪人たちはきちんと喧嘩支度をしているし、いっせいに刀を抜くのがカッコいい。さあ、今からチャンバラが始まるぞ!とワクワクする。ここで羽織を着たまま(浪人だからそれはないかも?)袴をぞろぞろ、というのではなんとも緊張感がない。いつもは悪いほうだが今回は、馬でかけつけてそのまま斬り込んでいく戸上城太郎もいい。女形っぽいアクションの大川橋蔵をガードする怒涛の進撃は実に頼もしい。

 この映画の特徴はとにかく大の大人の男がよく泣くことである。

 多様な人間関係がそれぞれに見せ場を持って展開するのが面白い。中将の後見役である紀伊大納言光貞・市川右太衛門(この人が出てきただけであらかた勝負はついているという安心度200パーセントのキャラクター)と中将が将軍の前でくりひろげる一世一代の啖呵、息子の成長に感動して泣くお父さんと叔父さん、同じく中将と奥方の継の方・大川恵子との別れのシーンで橋蔵の髪が数本だけ乱れて顔に垂れ下がるシーンなんかそのまま絵にして残したいくらい。

 自分のために泣くのは女々しい、他人のために泣くのが大人の男というものだ。しかも、出てるほうだけ泣いているのは滑稽だが、きちんと絵柄で客を泣かせるからいいのである。

 仕官を勧められた大友柳太朗の台詞「自分の食い扶持以上の物を持つと、そのぶんだけ人は苦労する、俺はこのままでいい」こういうライフスタイルってホント憧れちゃうね、見習いたいもんだよな。

2003年12月10日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-12-14