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二人の息子


■公開:1961年

■製作:東宝

■製作:藤本真澄

■監督:千葉泰樹

■脚本:松山善三

■原作:

■撮影:玉井正夫

■音楽:伊福部昭

■美術:阿久根厳

■主演:宝田明

■トピックス:鉄道自殺は残された家族が大迷惑なのでやめよう、轢かれるならベンツだ。

ネタバレあります。


 もしも、筆者に二人の息子がいて長男がおタカ(宝田明)で次男が若大将(加山雄三)だったら(そんでもって旦那が池部良なの、うふっ!)どんなに明るい家庭になったかと、観る前は期待していたのだが、ところがどっこい、身につまされまくる映画だった。

 元教師で今は裁判所の嘱託という身分であった赤木信三郎・藤原釜足は上司と喧嘩して無職になってしまう。信三郎の家族は、エリートサラリーマンの長男・宝田明(別居)と、タクシーの運転手をしている次男・加山雄三(同居)と、長男の勤め先でエレガをしている長女・藤山陽子(同居)、それと妻・望月優子。長男夫婦とは嫁・白川由美が元水商売だったため絶縁状態、次男は当然金がなく、長女も同様。

 借家も追い出されそうなので、信三郎は長男夫婦のところにやっかいになろうかと考えるが、いくら一流企業でもしょせん平社員、安アパートに子供がいて全然無理。次男は違法な白タクを始めるが、泣きっ面にハチというのはこのことで、事故って車はオシャカになり借金まで背負う。長女は冴えないボイラーマン・田浦正巳といい感じになるが、将来有望なやもめの部長・小泉博に見初められて有頂天になったところへ、突然悲劇が襲う。

 父親は自殺未遂、次男は大怪我(雪上車でなかったのがせめてもの救いである)、長女は事故死、めくるめく不幸に見舞われる一家の物語。

 東宝のサラリーマン映画といえば、恐妻家の森繁久彌が久慈あさみの目を盗んで淡路恵子といちゃいちゃしている間に三木のり平と小林桂樹がズッコケルだけかと思っていたら全然違う、こういう本当のサラリーマン映画というのもあったわけで、成瀬巳喜男の映画のように、金にだらしない男が昔の恋人に借金しに行ってうなだれるだけ(じゃないけど)みたいな文芸路線(か?)でもなく、もっと、こうぐっと身近でリアルな家庭の崩壊と再生を描いた本作品は、主役二名の派手さ故にか、隠れた名作と化している。

 ドカベン喰って笑っているだけでない加山雄三は「乱れ雲」でも堪能できるが、生活臭のする宝田明というのはタイヘンに希少である。2DKのアパートに収まりきらない宝田明の長身が、しみじみと生活苦を語る。どう考えてもミスマッチだが、意外性というのは思わぬ効果を生むもの。貧乏の大安売りみたいな藤原釜足ではなく、ゴージャス野郎のおタカに深刻な顔されると思わず腰がとろけ、、じゃなくて母性本能を刺激しまくりだ。

 いかにもインチキ臭い(だって売ってるのが大村千吉なんだもん)社販の電気冷蔵庫、ってなんで電気ってわざわざつけるかというと昔は氷入れて冷やしていたからなのだよ、っと年齢がバレる話はともかく、そうした家電製品をまるでドールハウスでも楽しむようにチマチマと集める白川由美がしみじみと「毎日の暮らしのほうが女は大切なのよ」とこぼすシーンに強烈なシンパシーを感じてしまう。

 貧乏が絆となっていた家族が、お金の力でバラバラになりかかるが、結局のところ再生の原動力もまた、お金なのだった。貧乏でも楽しい我が家、なんてのは最低限の生活が保障されてから出る言葉なんだよなあ。

 東宝の脇役チームがいい仕事をする。葬儀屋の沢村いき雄小川安三、おでん屋の織田政雄、代書屋の佐田豊がそれぞれのポジションで味を出す。 

2003年11月17日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-11-17