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明るくなるまでこの恋を


■公開:1984年

■製作:シネ・ヌーヴォ、シネ・ピピア、スタジオ・デルタ

■製作:高岡茂、景山理

■監督:大森一樹

■脚本:大森一樹

■撮影:深沢伸行

■音楽:河島英五

■美術:

■主演:

■トピックス:♪映画館の座席には白い翼がはえている、で泣けたら君も立派な映画ヲタ。

ネタバレあります。


 原題(?)の「暗くなるまでこの恋を」は1969年、フランソワ・トリュフォーの監督作品。で、さらに、監督の出世作「暗くなるまで待てない!」は鈴木清順の熱烈信者である映画ヲタクの話だが、原題の「暗くなるまで待って」は1967年、テレンス・ヤングの監督作品。タイトルは頂き物でも、内容は全然関係ないところがカワイイ。

 本作品はその「暗くなるまで待てない」の兄弟作品というか、後日談と言ってもいいかも。

 今夜で閉館が決まった老舗の名画座が舞台。無人ATM機をショベルカーで強奪した三人の青年、自称映画監督、失踪中の元支配人・野口貴史、自主映画仲間、別居中の妻、援助交際カップル、入れ替わり立ち代りする警官、そして最後の夜だと言うのにとんだ目に遭わされてしまう支配人、種々雑多なごく少数の人々が過ごす、たった一晩のドラマ。

 ラスト、上映中断をわびた支配人に拍手をおくる観客の一人として、自分も一緒に手を叩きそうになった。

 実際に上映終了後の映画館を借り切って、劇中に告知される時刻とほぼ同時刻に(若干押し気味で)撮影された超低予算自主映画。撮影は一晩でも編集はずーっと大変ではありますが・・・。

 宝塚といえば歌劇、で、なんで映画なのかというと当地にはかつて宝塚映画撮影所があったから。筆者的には「37階の男」はその撮影所で制作(東京の霞ヶ関ビルを舞台にしていながらオール関西ロケ、本物の霞ヶ関ビルでは「一度も撮影したことがない」と中丸忠雄さんから知らされた三十年後の筆者はかなりビックリこいたのさ)されたわけなので、思い入れもひとしおというもの。

 さて、それはさておき。

 低予算といわれたATGでさえ20世紀に一千万円だったっつーのに、21世紀に予算百万円とはかなりビックリ、出演者は1日1万円の日当(弁当は出たのか?送りは?無理?)、宝塚の町に映画の文化を復興させようという大森監督の心意気、よくぞ乗った!東映京都。だが、「大和魂で飛行機は飛ばない、飛行機を飛ばすのはガソリンだ」(by加山雄三@ゼロファイター大空戦)という名言もあるとおり、その出来栄えは見る前は興味津々、だけど心配も相当にあった。

 飛んだね、観終わって、心配は。と、同時に映画業界の変わらぬ大和魂を垣間見て涙出た。この映画は本編正味20分足らずだが、1時間以上のメイキングがついていた(ビデオ鑑賞)。かつての映画青年の皆様はもれなくご鑑賞ください。河島英五の「映画館へ行こう」はメロディーが軽快で詩もステキ。

2003年07月27日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-07-27