宵闇せまれば |
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■公開:1957年 ■製作:プロダクション断層、ATG ■製作:淡豊昭 ■監督:実相寺昭雄 ■脚本:大島渚 ■原作: ■撮影:町田敏行、石田邦昭、安田修三、原美勝 ■音楽:冬木透 ■美術:倉満利韻 ■主演:清水紘治 ■トピックス: |
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自由劇場と実相寺昭雄の実験映像的密室劇映画。劇作家の斉藤憐が映画全体をひっぱる役。 筆者は映画の中で説教をする女が大嫌いである(これを近親憎悪という)。したがって本作品も「受付けない」ジャンルであるが実相寺監督の絵柄見たさに、見た。 実相寺が撮るとすべての映画はSF化あるいはカルト化する。それは人間の分泌物に対する異常な執着であったり、床上に散乱するゴミをなめたローアングルであったり、しつこいくらいのクローズアップであったり。大した事をしていない画面を、視線を不安定かつ無粋にすることで非日常的にしてしまうのである。 こういうのを「やったもん勝ち」と言う。 男3人・斎藤憐、清水紘治、樋浦勉、女1人・三留由美子が1つの部屋でグダグダと時間をつぶしているのだが、偶然にはずれたガス(当時の都市ガスなので天然ガスではない、したがって中毒死可である)管を発見した清水絋冶が「毒ガス吸引がまんくらべ」を提案、賞金をかけることになり、ボロい木造アパートで、そのゲームは開始される。 さすが清水絋冶、やることが怪しい、いや、怪しすぎである。この提案からわかるとおり、清水はこれくらいでは絶対に死なないと言う確信があるんだろう。どこから来るんだその自信、その根拠がさっぱりわからないところが、またすごい。 バルサンじゃないんだから、階下や隣室の迷惑なんぞものかは、発案者の清水が最初に脱落し部屋の外からさらなる脱落者を誘い、次に槌浦勉がリタイア。部屋には斎藤と三留が残る。意外としぶとい三留に、斎藤は陽動作戦という卑怯な手口でゲーム続行をあきらめさせるが、、、 この映画はここからが本番、したがってオチは書けない、っていうか書いたら絶対、この映画を見てみようと思う人がいなくなるんじゃないか?とさえ思う。 若者、ってもよく見るとイイトシこいたおっさんにしか見えんが、同士のたわいもない会話の小ネタがつきると、突然ストーリーが動く。繰り返し挿入されるブリッジは途中から完全にギャグと化す。 ここいらへんが実相寺映画、基本的にコメディーの人、台詞よりも絵柄。 しかし脚本は大島渚、役者は台詞ではなく演説になる、これが筆者にとってはとってもウザい。 特に三留由美子が延々と説教垂れるシーンでは「おい、もういいよ清水(と樋浦)!そんな女いらねえからどっかへ埋めちゃえよ!」など不謹慎きわまりないイライラ感が炸裂してしまうのである。21世紀の大人は短気であるから、こういうことされると映画全部がダメダメな気分になる。 ホーローのガスコンロとか、セットとかで時代の空気を疑似体験できる、そうい う目的で見るならオッケー。 (2003年06月06日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-06-09