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わが生涯のかがやける日


■公開:1948年

■製作:松竹

■制作:小倉武志

■監督:吉村公三郎

■脚本:新藤兼人

■原作:

■撮影:生方敏夫

■音楽:

■美術:浜田辰雄

■主演:森雅之

■トピックス:


 明治生まれの日本男優はほぼハンサム揃いであるから鑑賞にたいへん良い。

 大戦末期に平和主義者、井上正夫を暗殺した将校の森雅之は、戦後、やくざの大ボスである滝沢修のパシリとなり、おまけにモルヒネ中毒患者にまで落ちぶれていて、ボスが経営しているミュージックホールの用心棒みたいなことをしている。

 ある日、気の強い新人ホステスの山口淑子がやってきて先輩たちと乱闘騒ぎになる。ちょっとヴァンプな魅力にコロリときたのは滝沢修で、森雅之に命じて彼女をモノにしようということになるが、大ボスの前でも全然ビビらない山口淑子に森雅之もちょっと惚れちゃったりなんかして、滝沢修の別荘へ山口淑子を送っていった森雅之は、彼女の父親がかつて自分が暗殺した相手だと知り、愕然として罪ほろぼししたくなる。これを知った滝沢修のジェラシーによりチンピラに狙撃された森雅之は山口淑子に手当てしてもらう。山口淑子はそこで父親を暗殺した犯人の確信を得る。

 山口淑子の兄である清水将夫は戦時中、反戦主義者を血祭りにあげまくった検事だった身分がバレると糾弾されるので、こっそり滝沢修に雇ってもらう。滝沢修は戦時中には軍部に取り入って大もうけし、戦後は民主主義者に変節してこれまた裏社会で金を稼いでいる当時の世相に鑑みて超悪党だが、自分の身辺を元帝国陸軍の情報将校、加藤嘉に固めさせているなかなか用心深い奴。そこへ元左翼学生で今は正義の新聞記者をしている宇野重吉がやってくる。物資の横流しをしている滝沢修のシッポをつかむためだが、宇野重吉は森雅之の元学友、かつ、清水将夫に拷問されて松葉杖生活を送っている。

 清水は宇野の顔を見るやびっくり仰天、オロオロしてしまう清水を見た滝沢修はそろそろやっかいものになってきたかな、と考えて宇野と清水を決闘させて相討ちにしようと企む。決闘は宇野の勝利、森雅之はついに決断し滝沢修と対決する。

 野心満々の実験的な映像、そして従来の日本人俳優にはなかった野生的な魅力を発揮した三船敏郎の起用で娯楽作品として人気のある「酔いどれ天使」と比較してみると、その背景にある戦後日本の荒廃と再生の兆しは同じ。左翼的なテーマが前に出てくるぶんだけ「わが生涯の輝ける日」は説教臭いように感じたが、これでも米軍の検閲でずいぶん薄まっているらしい。

 メロドラマっぽくなったら森雅之の独壇場、三船敏郎には絶対にできないマネ。森雅之に見つめられたら「何されるのかしら(期待)」となるが、三船敏郎に見つめられたら「何されるかわかったもんじゃない(不安)」となるから。当時としては、というありきたりの宣伝文句を超越する近代的なラブシーンも凄い、アメリカ映画もビックリ。

 森雅之は(映画の中で)女を抱くのが抜群に上手い、まさにプロ、顔の寄せ方、腰の寄せ方、どこで覚えたんでしょうね。滝沢修の下世話なボスもいいが品の良さが隠しきれてないんで、危険なムードがいまひとつ。そういう役じゃなくても、そういうシチュエーションでなくても、森雅之のねっとり視線は、なにも金の無心だけに威力を発揮するのではない。クスリが切れて大暴れしたり、キザにタバコをふかしても、なんとなく森雅之「らしさ」にしてしまう、こういう大芝居をしているときの森雅之の芝居には一点の照れもないから、見ている方も心苦しくならない、ラブロマンスやらしたら最強の色男。

 ヒロインの山口淑子は冒頭のお嬢様からいきなりアバズレ言葉になるところでウケを狙うのだが、バタ臭い顔だし、戦略的なところもあるから仇っぽくなったほうが妖艶で魅力的。造作の大きさはスクリーンで、じっと見つめるだけでいろんな芝居を客の想像させるから、余計なコトしなくてもいい、て言うかしないほうがいい。チビTシャツでお腹出したまんまでお茶漬け食べちゃうところが妙に現代的に感じられたのが可笑しかった。暗殺の事実を告白した森雅之を許し愛を告白する姿はちょっとうそ臭いような気もするが、こういう前向きな生き方には共感できる。

 滝沢修のパシリBチームに三井弘次殿山泰司(頭髪アリ)。

2003年01月19日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16