復活の日 |
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■公開:1980年 ■製作:角川春樹事務所、TBS ■制作:角川春樹 ■監督:深作欣二 ■脚本:高田宏治、深作欣二、 グレゴリー・ナップ ■原作:小松左京 ■撮影:木村大作 ■音楽:鈴木清司、羽田健太郎、テオ・マセロ、ジャニス・イアン ■美術:横尾嘉良 ■主演:ボー・スベンソン(筆者推奨) ■トピックス:風邪は世界滅亡のもと、外出したらうがいをしよう。 |
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荒唐無稽とご都合主義を肯定しないとSF映画は成立しない。この映画はいきなり人類がほとんど滅亡してしまっている状況から始まる。 1982年、東西冷戦時代の東独で開発された生物兵器をボロっちいセスナでおまけに定員オーバーで輸送中にアルプスの山腹に激突し、アンプルがぶっ壊れてしまう。こんなアバウトなことをするのはアメリカ人に違いないと思っていたら案の定だったが、厳冬期間中は大人しくしていたウイルスが春になって猛威をふるいはじめ、あっという間に世界中に拡大。 イタリア風邪と呼ばれて短期間に死に至るそのウイルスは、日本にもどっさり上陸、主人公である草刈正雄が南極観測チームに参加してしまうので、妊娠を隠して別離を宣言した元彼女の多岐川裕美が勤務している大学病院は野戦病院と化し、効くかどうかわからないワクチンの配給すら滞り、医者の緒形拳は不吉な予言を残して助手の小林稔侍とともに死んでしまい、流産したあげくにパンダのような隅ができて疲労困ぱいの多岐川裕美は友達の丘みつ子(すでに死亡)の子供とともに東京湾で無理心中。 昭和基地では情報も少なく、日本に残してきた家族を心配するあまり、熱血馬鹿の渡瀬恒彦が、家族が全滅したらしい外人の少年とハム交信中、少年が将来を悲観して自殺したのを知るや発狂し、同僚の千葉真一、後輩の森田健作を残してブリザードの彼方に姿を消した。 アメリカでは大統領のグレン・フォードや上院議員のロバート・ヴォーンも例外なくウイルスに犯されており、そもそもこんなしょーもない事態を引き越した原因である細菌兵器をドジってぶちまけた最高責任者の戦争オタクであるヘンリー・シルバは、この期に及んで「アカをやっつけろ!」とわけのわからないことをほざき、イイ芝居をしてフォードとヴォーンが死んだ後、シルバは宛先不明だっていうのに核攻撃の報復システムをスタンバイさせてしまう。 ウイルスの弱点の一つは低温だったので南極の観測基地に人類生き残りの希望をかけて人類および脊椎動物のすべてが絶滅。アメリカ基地の最高責任者であるジョージ・ケネディは世界各国の代表者とともに南極で新しい政府組織を作り、貴重なメスである数名の女性に猛烈抗議されつつも人類の将来を担う決意を表明。そこへウイルスを満載したソ連の潜水艦が上陸申請してくる。幸いなことにウイルスが拡散する前に水中に潜っていた英国の原子力潜水艦がソ連艦を轟沈、艦長のチャック・コナーズ以下、英国艦の乗組員はからくも生き延びることに成功する。 1年たってもウイルスはあいかわらず元気一杯。地震の研究をしていた草刈正雄が米国に巨大地震が来ると予想、核攻撃報復システムが勘違いして作動すると、トンでもないことにソ連側にもそういうのがあってそのうち一つの照準がアメリカの南極基地に向けられていることが判明、ウイルスまみれのワシントンへ行って装置を止めないとこりゃ大変だということで軍人のボー・スベンソンが特攻志願、草刈正雄もくじ引きで当選、やさしいボーは草刈正雄に鉄拳制裁で思いとどまらせようとするが、貧弱な体格(ボーに比較して、ちなみにボー・スベンソンのタッパは約2メートル、かつベトナム戦争で従軍経験あり)にもかかわらず噛みつき攻撃でアピールした正雄の熱意に負けて同行を許可する。 「白昼の死角」で夏木勲(夏八木勲)を窮地に追い込んだけれど本作品では血の気は多いが根はロマンチストなアルゼンチン人であるエドワード・J・オルモスのピアノ演奏とオリビア・ハッセーの体を張った餞別により送り出された草刈正雄は廃墟のホワイトハウスでボーとともに報復システムの停止を目指すがタイミング良く発生した余震のあおりでボーが事故死、これまたイイ芝居をして息を引き取った後、システムはタッチの差(本当に)で作動してしまう。ただし、上陸直前に投与したウイルス用のワクチンだけは効力が証明されていた。 核ミサイルが地球上を飛び交い、ホワイトハウスも世界の主要都市も、そしてアメリカの南極基地も吹き飛んでしまう。世界は二度死んだ。あらかじめ避難していた女性と子供と一部の男性を残し、人類はさらに絶滅に近づいていく。そして数年が経過、草刈正雄はグレートジャーニーの末に、、、、。 角川春樹という「お祭り野郎」(誉め言葉)がいて本当に良かった。 南極ロケはいわゆるドキュメンタリー系の映像をはるかにしのぐ、撮影監督の美意識によってドラマチックに切り取られており、エンディングの映像だけでも一見の価値あり、特撮も仕掛の凄さと言うよりは画作りがイイ感じ(特撮も本編と同様、木村大作)だ。米国の(TV系だけれど)ビッグネームをただ顔見せに呼ぶのではなく、きちんと芝居させてるのも楽しい。特にグレン・フォードの最期の芝居は泣かせる。そしてこの映画の実質上の主役であるボー・スベンソンがこれまたイイ。柔道をちゃんとやってる人らしいから親日派なんだろうが、男気を炸裂させてはにかんだように笑う、高倉健か菅原文太か、とにかくカッコよすぎるぜ!ボー! 国内では長身の二枚目である草刈正雄が、チャック・コナーズ、ジョージ・ケネディ、そしてボー・スベンソンら摩天楼のような外人たちに囲まれて見下ろされている図はかなり新鮮。ヘンリー・シルバのイっちゃってる軍人さんもよく収まっていたし。生意気でヘタレな現地女優が冷たい水の中に入るのをゴネたとたんに「降ろせ!」と叫び、オリビア・ハッセーに替えた深作欣二に、替えることができる条件を用意した、ここは春樹、マジですっげーぜ! そして「復活の日」を予想させるにはあまりにも切ない事態が確認できたところで映画は終わるのだが、クレジットの背景に延々と出てくる復活後(?)の南極に人間様が一人も出てこないで、アザラシなどの海洋生物が繁栄しているだけ、っちゅうのが最もリアリティありすぎかも。だって「(人類の)復活の日」とは誰も言っていないのだから。 荒唐無稽とご都合主義をフルスイングで堪能できる日本SF映画史に名を残してもいいんじゃないか?な作品だ。 (2003年01月12日 ) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16