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加賀騒動


■公開:1953年

■制作:東映京都

■監督:佐伯清

■脚本:橋本忍

■原作:村上元三

■撮影:三木滋人

■音楽:高橋半

■美術:角井平吉

■主演:大友柳太朗

■寸評:


 2002年、NHKが大河ドラマ「利家とまつ 加賀百万石物語」を製作しなければ、おそらく幻の映画として日の目を見ることはなかったのではないか?国民的番組は村おこしだけでなく、映画の発掘もする。

 江戸屋敷にいた加賀藩主の6代目、前田吉徳・三島雅夫は火事現場にいちはやく前田家の火消しチームを向かわせた。

 旗本火消しと前田家の火消しがゴロまきそうになった現場にかけつけて仲をとりなした、大槻伝蔵・大友柳太朗は茶坊主出身の下級武士だったが、旗本随一の暴れん坊、久世三四郎・小沢栄(小沢栄太郎)からも一目置かれるほどの器量を見せる。機嫌をよくした吉徳は大槻を重く用いたのだが、百姓のセガレが出世していくのを藩のセレブたちは面白くなく、とりわけ件の現場で赤っ恥をかいた奥村長左衛門・加藤嘉は男のジェラシー全開に。

 実直で不器用な大槻はそろそろお年頃だったので商家の娘、お貞・東恵美子のことが大好きになった。出世コースにも乗れそうだし、下男・稲葉義男と親戚の山村善右衛門・東野英治郎も良縁だと大変に喜んだが、山村の妹・山田五十鈴だけはイマイチ嬉しそうではなかった。

 お殿様のパシリで国元へ戻った大槻を生意気だと勘違いして謹慎させた国家老、前田土佐・千田是也、奥村長左衛門らの仕打ちがトラウマになった大槻は、立身出世の鬼となり元々勉強家だからメキメキ出世しとうとう家老職にまで大出世、茶坊主たちのアメリカン、じゃなかったジャパニーズ・ドリームの体現者となる。かつての恋人、お貞は殿様の愛妾になっていたが、あいかわらず大槻に惚れていた。

 こうなると実力はないけどブランド志向の偉い人たちの不満はピークに達し、吉徳病没と同時に、お世継ぎ候補を擁する正室派の威光をかさに着て大槻降ろしのシュプレヒコール。

 吉徳の寵愛を受け、大奥へ上がったお貞はいびられ、お貞をサポートするために向かったお浅の局とともに孤立していく。反大槻派は、藩主謀殺、次世代藩主毒殺未遂、大槻とお貞の不義密通など、週刊誌の三面記事ネタを証拠と言い張り、後ろ盾を無くした大槻はとうとう切腹を命じられる。

 講談やお芝居では稀代の悪役、加賀騒動の看板である大槻伝蔵が、実は貧しい家の出ゆえに多くの悲しみを味わい、お家騒動の犠牲者として身分の高い連中に利用されて葬られたという解釈に基づいているのが本作品。

 「権力に虐げられた者の悲しみ」といえば橋本忍である。まさに真骨頂って言うか、その雄雄しいというより押しつけがましいほどの圧力がドラマ性が毎度のことながら絶好調だ。キャメラも大槻の断末魔にとてつもなく高い城壁を延々と映し、その石垣に指をかけて絶命する姿を印象的に使った。

 太平洋戦争で最盛期を奪われたチャンバラスタアは多いが大友柳太朗もその一人。敗戦直後はもっぱら現代劇の悪役をそれでも精一杯に凄味を利かせてやっていたけれど、やはりチョンマゲがないと寂しい(頭髪ではなく)。お貞との出会いは、彼の扇を添え木の代用にしたところからで、立派な押し出しと造作の大きい大友柳太朗が想い出の品をためつすがめつ一人でニンマリとするところが愛嬌があって好きなシーン。

 冷酷非情な出世マシーンとなってからも、純情なころの忘れ形見として扇を大切にしていたが、結局はそれが原因で非業の死を遂げるのである。歴史的にも多様な解釈がされる大槻伝蔵という人物が乗り移ったような大友柳太朗の熱演。まるで「市民ケーン」のような壮大で骨太な人間ドラマだった。こうした作品が、娯楽性の不足や題材の地味さも手伝って埋もれてしまっているのは惜しいと思うぞ。

2002年11月24日

【追記】

2003年01月03日:加筆。

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16