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893愚連隊


■公開年度:1966

■制作会社:東映京都

■監督:中島貞夫

■助監督:藤原敏之

■脚本:中島貞夫

■原案:菅沼照夫

■撮影:赤塚滋

■音楽:広瀬健次郎

■美術:矢田精治

■特撮:

■主演:松方弘樹

■寸評:たまには「ダメ人間じゃない荒木一郎」というのも見てみたいものである。


 中島貞夫の十八番、ダメ人間たちの青春群像劇。

 京都で白タクや風俗業のスカウトをしてシノギを続ける3人組、ジロー・松方弘樹、参謀・荒木一郎、オケラ・広瀬義宣は自ら愚連隊と称してアバウトな日々を送っていました。ある日、ジローの兄貴分の杉山・天知茂が出所して来ました。杉山はかつての仲間の家に招待されますがそこには昔恋人だった由美・宮園純子がすっかりお母さんになって納まっていたので、面白くない杉山は仲間の家を飛び出してしまいます。

 ジローの仲間で混血児のケン・ケン・サンダースは進駐軍に暴行された母親から生まれた自分の生い立ちと、女を道具としてしか取り扱わないジローたちのマインドとの間に埋めきれない溝を感じていました。それは戦中派の杉山も同様でした。婦女暴行も全然平気なアプレなジローたちに嫌気がさした杉山は、新人愚連隊の幸一・近藤正臣に誘惑されてやり手ママ、はる美・三島ゆり子の店に売り飛ばされた元人妻ののぶ子・稲野和子と所帯を持ち、ケンと一緒にカタギになるべく、大勝負に出ます。

 戦争直後から戦後へ激変した価値観に置いてけぼりにされた男の最後の一手は特攻隊でした。

 親分子分の義理人情にツバを吐きかけ、その日をただお気楽に過ごす事しか考えないというのは、仁侠映画とはまったくその世界観を異にするものです。かつて東映城のプリンスと呼ばれた松方弘樹が高度経済成長のオチコボレとして、逆らうでもなく意地を通すでもなく、民主主義を吹聴して泳ぎ抜いて行く様に、見るほうとしてはミスマッチなインパクトを超越した、並々ならぬリアリティとシンパシーを感じたと思われます。

 「長いものには巻かれろ、札束には切られろ」という処世訓は、最も映画になりにくいものの一つであると思いますが、このダメ人間トリオは、特に荒木一郎、時に痛快に、時にシニカルにスルリと演じてしまいます。

 なにもかもが灰塵と化すラストにフランス映画「勝手にしやがれ」や「気違いピエロ(現・ピエロ・ル・フ)」のような乾いた演出を感じます。ドラマチックにハッタリを利かせて殺される杉山をあっさり見殺しながらも、その情婦に「おまえらインポか!」と罵倒されてそれなりに発奮しても、所詮、ダメなものはダメ。

 身につまされる出来事の連続、カッコ悪いエピソードばかりを見せられて、それでもこのドン底生活から抜け出した新しいカップルとは対照的に、タバコすらカツアゲするジローが「ネチョネチョ生きとるこっちゃ」という台詞に魂の救済を感じた観客は少なくなかったでしょう。

 幸一の恋人に桑原幸子。愚連隊に鼻を明かされる本職のやくざの幹部に高松英郎、その手下に潮健児。天知茂の刑務所仲間に待田京介。このほかジローに翻弄される経営者に遠藤辰雄

2002年09月23日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-06-22