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近頃なぜかチャールストン


■公開年度:1981

■制作会社:喜八プロダクション、ATG

■監督:岡本喜八

■脚本:岡本喜八、利重剛

■原作:

■撮影:加藤雄大

■音楽:佐藤勝

■美術:小方一男

■特撮:

■主演:利重剛

■寸評:殿山泰司のハチマキに大爆笑。


 予算が潤沢なのと作品のクォリティは必ずしも比例しないんだけど、逆はもっとありえないんだよね。小此木家は岡本喜八監督の自宅を一部使用、出演者も心意気で集まった面々、短日程と低予算、でもこんなに面白いの作っちゃうからなあ、、この人は。

 1981年8月、小此木次郎・利重剛は暑さにまかせて婦女暴行未遂をやってしまい、ブタ箱へ放りこまれます。そこにはヤマタイ国を名乗る謎の老人たちが無銭飲食で留置されていました。

 実は小此木の家は大金持ち。ところが父親の宗親・藤木悠は蒸発中、母親の政子・小畑絹子は次郎の兄で長男の一郎・山崎義治、市会議員の寺尾・平田昭彦(様)と何やら企んでいる様子。次郎はヴァイタリティー溢れる家政婦のタミ子・古館ゆきとは仲良しです。釈放された次郎は先に歩いていた老人たちが実行したかっぱらいの濡れ衣を着せられ、定年間近の大作刑事・財津一郎と、ドジばっかする中町刑事・本田博太郎に再び捕らえられます。

 老人たちの面子は、総理大臣・小沢一郎、陸軍大臣・田中邦衛、外務大臣・今福将雄、文部大臣・殿山泰司、大蔵大臣・千石規子、逓信大臣・堺左千夫、一番の若手(老人の中で)は内閣書記官長・岸田森。彼らは小此木家の当主、宗親が最後に消息を絶った空家に勝手に住み付いてそこを独立調和国・ヤマタイ国と称しているのでした。

 小此木夫人と長男がヤマタイ国に立ち退きを迫ります。次郎は敵側の関係者として最初はヤマタイ国の捕虜になりますが、やがて労働大臣として移民してしまいます。タミ子も続きます。

 彼らの住む家の地下には太平洋戦争当時の不発弾が埋まっていました。大作刑事は8月15日の定年を目前にして、小此木宗親の捜索を命じられます。立ち退きに応じない老人たちに業を煮やした小此木一郎は関西からアイスピックを使う殺し屋、飯室・寺田農とちんぴらたちを雇い、小此木家の実子ではない次郎に多額の保険をかけた上に、さらに巨額の保険まみれにしてある宗親を事故死に見せかけて殺すべく行動を開始しました。

 小此木家の降伏勧告(ポツダム宣言)に対して、ヤマタイ国政府首脳が黙殺→無視→拒絶へと変わって行くところでは岡本喜八監督の「日本のいちばん長い日」を思い出し、あの老人たちに「血と砂」の音楽隊や「独立愚連隊」の従軍慰安婦のその後を感じたとしたら、それは岡本喜八の熱烈信者としてオッケーだし、監督の狙いとズバリとシンクロ。

 それにしてもこの、モダンでリズミカルなテンポはどうよ?衰えるってこと知らないね、この監督は。とは言え、もうこの映画ができてから20年以上経ってて、小沢栄太郎は撮影当時すでに癌だったって言うし、岸田森も殿山泰司も平田昭彦(様)も堺左千夫もいないんだという現実は寂しいよね。当時から右傾化ということがあって岡本喜八監督のレーゾンデートルは「戦中派の叫び(ボヤキ、じゃないよ)」なんだけどそれよか、ずーっと悪化してるのが哀しいやら情け無いやら。

 老人問題ってば「三婆」のやりきれないラストシーンに比べれば、カラリと明るいのが救いだけれど「まぼろしの市街戦」のように、日本に見捨てられたのは老人たちじゃなくて、彼らに見捨てられた日本、という感じがしてくるのが切ない。

 も一つ、オマケの見所。新東宝の美人女優で「毒蛇のお蘭」での悪女役が強烈な小畑絹子が物凄い寝相を披露、見てみ。

2002年09月08日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-06-22