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金髪の草原


■公開:2000年
■製作:吉本興業、ポニーキャニオン 、テレビ東京、エス・エス・エム
■製作:横沢彪、 武政克彦、木綿克己
■監督:犬童一心
■原作:大島弓子
■脚本:佐藤佐吉、犬童一心
■撮影:村上拓
■音楽:吉澤瑛師、CHOKKAKU、エレファントラブ
■主演:池脇千鶴


 古代なりす・池脇千鶴は学校に行くのをやめてホームヘルパーをしてします。彼女には義理の弟、丸男・松尾政壽が一人いて両親とは離れて暮らしています。ある日、なりすは日暮里歩・伊勢谷友介(現実の声:筒井康隆)という80歳になる老人の家に派遣されます。ところが日暮里は自分を二十歳の青年だと思いこんでいるのでした。

 日暮里は姿だけでなく精神状態も二十歳にもどってしまっていて、なりすのことを学生時分に憧れたマドンナだと錯覚しています。彼にとって現実は夢の中の出来事なのでした。若い頃から心臓病を患いおそらくはクラスメートのほとんどを戦争で失い、死期が迫った老人である日暮里と、二十歳の女として弟の世話にあけくれるうちに母性を通り越した愛情を抱いてしまったなりす。

 ほんの小さなきっかけで、なりすのちょっとしたミスで日暮里は現実に引き戻されてしまいます。日暮里が選んだのは、、、、

 クリストファー・リーヴ主演の「ある日どこかで」は自己催眠で昔に戻った主人公が憧れの女性と出会うファンタジー映画でしたが「あのスーパーマンが主人公」みたいなキャッチコピーのおかげで日本では大ヒットとはいきませんでしたけれど、筆者はこの映画が大好きなんです。もちろん愛するC・プラマー様(クリストファーつながり?)が出てるからってのも要因の大ですが「こういうのあったらいいいよね!」ってSF映画の基本だと思うんですよね、SFってねサイエンス・ファンタジーなんだと思うんですね。「××だったらいいのになあ」という、その裏には「絶対にありえない」という厳格な現実が潜んでいるわけですが。

 日暮里さんは見てくれは伊勢谷友介、本人のままです。年寄りっぽい動きはよくやっているほうだと思うんですね、あの、手足に重し付けるインスタントシニアをやったことあると実感できます。なりすは料理が得意(さすが「ほんまもん」)という設定ですがなんとなくたどたどしくて演技力っていう点では笑っちゃいますけど映画俳優なんてその映画の成り行きというか空気にハマってるかどうかが大事ですから、本当に不器用な娘だねえという風情が出ていてあざとくなくて好感持てました。

 この映画に出てくる人たちはちょっと不器用だったり心に傷を抱えていたりする人たちなんですが、両親の不仲で情緒不安定になり気味の少女には最初は日暮里さんの現実が見えてるんですが、後半になるとちょっとそのあたりが曖昧になってるんですね。と言うかおそらくはこの少女が何かを察したんでしょうね、最後の一言も少々シビアすぎる気もしますがパンツがはみ出ていそうなこの少女が直面している現実は最も深刻ですからね。

 本当に真実が見えていたのはこの娘だけだったんじゃないでしょうかね。

 最初はボケ老人が色気づいて自滅する映画かと思いまして、「はないちもんめ」みたいだったらちょっとねえ、でも最後まで現実の日暮里さんは出てこないんですね、それが救いなんですね。現実からは誰も逃げれませんけれど、その最たるものが「死」ですね。誰もが平等に迎える現実ですから。なりすが最後に少しだけ強く?と言うよりも現実と対峙しようと立ち直るのはとても清々しいです。

 リアルな老人役で、日暮里さんの同級生ですが、神崎・加藤武とおそらくは本物のマドンナのなれはてとして東美恵子が出てきます。芝居よりもなによりもそっちの現実のほうが笑えないような気もしますが、健康体だった神崎が片腕を失っているというシーンも日暮里さんの年代に共通した何か「生き残った申し訳なさ」の暗示じゃないかという気がします。

 この映画まちがっても「ボケ老人対策映画」なんかだと思っちゃいけませんよ、あと、大友柳太朗さんとかも思い出さないようにしましょう(お前だけですか>筆者)。見終わって悲しいはずなのに暖かく泣けます。

 唐突のゲスト(夢の世界の住人?)として佐々木つとむ亡き後のプロフェッショナル・モノマネ業界の重鎮・堺すすむがゲスト出演、だけど年齢的にシンクロしてるのは故・桜井長一郎(蛇足)。で、エンドロールの記念撮影は本当に蛇足、余韻ぶち壊し。

2002年05月19日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16