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■公開:1955年
■制作:近代映画協会
■製作:絲屋寿雄、山田典吾、能登節雄
■監督:新藤兼人
■助監:
■原作:
■脚本:新藤兼人
■撮影:伊藤武夫
■音楽:伊福部昭
■美術:丸茂孝
■主演:乙羽信子
■寸評:どこか羽振りのよさそうな映画俳優に比べると新劇の人ってみんな貧乏に見えるから不思議。


 日本がまだ貧しかった頃、ちょうど平成の現代といくらか重なるところが見うけられるので「歴史は繰り返す」という言葉がしみじみと重くのしかかってくる、ヤだね、どうも。

 戦争で夫を亡くした矢野秋子・乙羽信子の息子は兎唇(みつくち)で、赤ん坊の頃の処置がうまくいかなかったために学校に上がるようになっても言葉がうまく喋れない。元銀行員だった原島・浜村純は妻の智子・坪内美子から離婚を迫られている。子沢山のうえに気の強い女房の文代・菅井きんからガミガミ文句ばかり言われている三川義行・殿山泰司、元映画脚本家で今は無職の吉川・菅井一郎の娘婿はただいま失業中。やはり未亡人で二人の子供を抱えている富枝・高杉早苗

 彼らは二十二人の仲間とともに生命保険会社の外交員に採用される。スズメの涙のようなはした金を支給されて過酷なノルマを課せられた一同は徐々に脱落していき、残った5人もまた、正社員採用の期限になってもノルマ達成には程遠く、まもなく全員解雇される。慇懃な本社の支社長・東野英治郎、営業課長・三島雅夫、そして直属上司の部長・小沢栄からは体良くあしらわれ、経済的に追いつめられた5人は郵便局の現金輸送車を襲撃することにした。

 「俺たちに明日はない」ってのもアブソリュートリーな銀行強盗の話だったけど、この映画に出てくる連中なんか明日どころか今日もない、って感じだ。進駐軍の将校さんの車(ビュイック)をかっぱらったところまではともかく、顔も隠さなければ大金のほんの一部しか奪ってないし、人質にした助手・近藤宏や局員・柳谷寛には申し訳ないと、山奥で開放するとき交通費まで渡している。この、人の良さと言うか、大した事は所詮出来ないっていう小市民の誠実さが悲しすぎるってこと。

 マスコミは犯人を「狼」だって非難するけれど、ニコニコしながらあきらかに困っている人たちを道具としてしか見ない資本家どものほうがよっぽどの狼野郎なので腹が立つ。

 最初は、なんでこんなに客を脅迫するんだ?乙羽信子は!とか思ってクソ貧乏の大安売りみたいな(まあ新劇俳優ってホント、貧乏が板についてる)登場人物がいちいち鼻についちゃうのだが、それが最後にはそういうふうに感じてしまう自分が本当にイヤになってしまう構造だ。別に子供のネタが多いからって、奪ったお金でスキヤキ食ったり、遊園地行ったり、入院するお金ができたり、ささやかパブリーを体験した後で、とうとう無理心中しちゃう高杉早苗を筆頭に、ようするにこういう人は今もいて、どうして救えないんだろうか?という悔しさがこの映画のトリガーなんだって気がつくわけ。

 つまりこの映画に出てくるもう一方の人々、たとえば保険の売りこみをすげなく断るクリーニング屋のオヤジ・左卜全や、規則をたてに治療費の一括払込を拒否する病院事務員・佐々木すみ江、営業は信仰だ!と演説する支社長のどこかに、見ているほうが自分の姿を発見していたたまれなくなるんだよね。

 この映画は怒ってるよ、すごく怒ってる。普通、こういうのって「貧しき者は美しきかな」みたいなオチになって結局、共感できなかったりするんだけど、もうここまでドップリ浸かってると圧倒されちゃう。平成不況の真っ只中の今、見ておく価値がありそうだ。

 その他の出演者は、途中で脱落する外交員・信欣三、脚本家の娘・斎藤美和、その婿・下元勉。保険会社の営業部長・清水将夫、オールドミスのやり手部長・北林谷栄、秋子を逮捕しにくるちょっと人情家の刑事・神田隆、診断書の虚偽報告を断る医者・宇野重吉、看護婦・奈良岡朋子、学校の先生・岸旗江。レッドパージで飛ばされた映画俳優、新劇俳優総出演というところ。当時の新劇俳優図鑑としても貴重な作品と言えるかも。

2002年04月07日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16