衝動殺人 息子よ |
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■公開:1979年 |
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若山富三郎は本当に晩年になってからその実力が高く評価された俳優の一人である。新東宝、東映、大映、そして東映へと撮影所時代のスタアとしては流転の人生を送っているわけでいずれも主演ないし準主演しても実弟の勝新太郎と比較されることが多く、必ずしも充実したキャリアとは言い難いものがあった。注目されはじめたのは東映の仁侠映画シリーズで豪放磊落、まるまっちい体躯に強面の顔と愛嬌が同居したいわば自分をパロディー化したようなキャラクターを演じはじめてからであって、本作品はその長い映画俳優のキャリアの中で最も世間の評判が良かった作品。 裸一貫から町工場を興した川瀬周三・若山富三郎、雪枝・高峰秀子、夫妻には一人息子の武志・田中健がいて、武志の婚約者の杏子・大竹しのぶも同居する予定になっていた。ある晩、親友の吉川・高岡健二と釣堀に行った武志は帰路、見ず知らずの19歳の少年に刺された。「仇を討ってくれ」と言い残した武志が死に、警察に自首してきた犯人の動機は「やくざになりたかった、誰でもよかった」という衝動的なもので武志にまったく落ち度は無かった。未成年者の初犯ということで裁判は、川瀬夫妻にとって驚くほど少ない量刑が確定し、賠償金は出ない。周三は工場を売って資金を作り、日本全国にいる同じような被害に遭って困っている人たちを訪ね歩いた。 娘を強殺された父親・藤田まこと、喧嘩の仲裁をした夫を撲殺された妻・吉永さゆり、反応はさまざまで周三の活動に協力を申し出てくれる人もいれば、新手の詐欺ではないかと警戒する人もいる。やはり同じ被害に遭った主婦・中村玉緒から「被害者救済制度」を推進している大学教授・加藤剛を紹介された周三は多くの会員名簿を見せて運動に協力してもらえるように頼み込む。緑内障を患った周三はそれでもテレビ番組や街頭署名運動に没頭していった。 小さな、しかし必死の信念がやがてマスコミを動かし世論を動かしていく過程は、あまりにも過酷である。今のようにインターネットなんかない時代の映画だから、本当に情報通信環境の変化には驚く。正しいことを推進するのに障害の多さが(実話ベースだからリアル)やりきれない。正義と言うのは一筋縄ではいかないんだよな、ってあきらめてちゃ駄目なんだ、ってことか。ま、そう簡単にアクションできないからこそ、この映画見て感動すんだよな。 日本のホームドラマの帝王、木下恵介監督の描く家庭はその時代の世情をよく反映する。良くも悪くも家庭というのは社会のミニアチュアだから、敗戦直後の「大曽根家の朝」では息子を軍国主義に殺されても希望を見出そうとする強い母親、「日本の悲劇」では戦後の急速な民主化でないがしろにされたモラルに絶望して自殺する母親、そして本作品では突然の暴力に息子を奪われてしまった事実を乗り越えようとする父親と母親が登場する。死んだ子供の歳を繰りながら必死に戦っていた父親は志半ばで戦死する。 若山富三郎は本当に下町の頑固オヤジという役柄にドンピシャ。目が悪くなってきてモノにつまづいたり、階段から落ちる(マジで!)ところはさすが若いころからトンボ切ってただけのことはアリで見事な運動神経。天性の庶民派、高峰秀子をむしろリード気味なのも素晴らしい。 映画の完成には間に合わなかったのだが、この映画の主人公は神奈川県、横浜市に実在する人がモデル。この映画のヒットも結果的に後押しした形となり1981年、犯罪被害者補償制度は運用を開始するに至った。 「破れ太鼓」で阪東妻三郎とは盟友(?)の木下恵介監督、今回は実子の田村高廣が被害者の遺族役でゲスト出演。後に「深川通り魔事件」であまりにリアルに犯人を演じてしまったために逆に世間が狭くなって困った大地康雄がここでも通り魔役(デビュー作らしい)で狂気の取り調べを薄笑いで熱演、怖い。ほか武志亡き後夫婦を支える近所の若い衆に尾藤イサオ、新聞記者に近藤正臣。 (2002年02月24日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16