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父子鷹


■公開:1956年
■制作:東映京都
■製作:大森康正
■監督:松田定次
■原作:子母沢寛
■脚色:依田義賢
■撮影:川崎新太郎
■音楽:深井史郎
■美術:桂長四郎
■主演:市川右太衛門
■寸評:勝麟太郎役の北大路欣也は本作品がデビュー作。


 同じ原作で松竹は阪東妻三郎の遺作となった「あばれ獅子」を1953年に製作、こちらは途中で主役が急死というアクシデントに見舞われた為、大半のシーンを吹き替えに頼らねばならず惜しい出来映えだが、麟太郎が将軍家お世継ぎの小姓として取り立てられる(結局は失敗するのだが)までを描くこの映画は、その後のエピソードが核となる松竹版と前編後編という感じ。

 暴れん坊で無学の勝小吉・市川右太衛門は、剣術の腕前はピカ一、放蕩無頼の生活を送っていたので町の巾着切り・原健策や露天商に人望がある。小吉は養子であったため、祖母・東山千栄子、父・志村喬、兄・月形龍之介はなんとか家督を継がせるために就職させたいが、幕末の混乱前夜という時勢もあって賄賂が横行する世界に小吉は我慢がならない。

 兄に連れられて信州へ行った小吉はそこで無法を働く侍・山形勲をやっつけて江戸へ戻り、許婚のお信・長谷川裕見子と祝言もあげて、やっとこさ就職もかないほっと一安心したところ、酒宴でネチネチネチネチ絡んできた同僚・神田隆加賀邦男をぶっ飛ばしてうち一人を殺してしまったので座敷牢に押し込められる。

 息子、麟太郎・北大路欣也の誕生で一念発起した小吉は乱暴とは縁を切る。しかし恩義のある剣術道場の二代目・江原真二郎がゴロツキ浪人たち・戸上城太郎団徳磨にいやがらせされていると知った小吉は彼らを追い払うために剣を使ってしまう。

 父の死後、屋敷を出てお信と貧乏暮らしを続けていた小吉のところへ兄が吉報を持ってくる。13歳になった麟太郎が時期将軍候補の小姓に採用されそうなのだ。小吉は自分の余生を賭けて麟太郎の将来を見守ろうと決心する。

 これは勝親子の原作を拝借した市川右太衛門、北大路欣也の「父子鷹」。なんで貧乏してんのにあんな太ってるんですか?とか、わりとイイ着物着てるじゃん?とか、江戸っ子の設定なのにはんなりした京訛り?なんて質問はヤボなので止めるように。そのかわりってことはないが、カワイイ欣也の将来を祈念して六尺ふんどし一丁、吐く息白い京都のステージで水垢離する御大が見られるのはスゴイ、御大、熱演しすぎで足元フラフラ、デブって安定悪い(し、失礼な)のかもしれないけれど、実子の欣也を見つめる姿は本当にほほえましく、思わず見てるこっちが保護者のマインド。

 「あばれ獅子」によれば、せっかくアテにしていたお世継ぎ様がさっさと死んじゃってこの出世話はパーになるってことだが、この映画は東映城のプリンスの誕生を祝うことが大切なので、ラストシーンは将軍様、および観客の前に歩み出てちょこんと頭を下げてご挨拶する麟太郎の晴れ姿という、あくまでも祝賀ムード一色で終了。

 後に傑出した人物となる麟太郎(勝海舟)が育まれる環境として、実に三代に渡る努力があるわけで、劇中、月形龍之介が「辛抱していればいつか花が咲く、有頂天になっている最中に急死することもある」というような教訓話をするのだが、それもこれも映画界の諸先輩方を集めた二代目の襲名披露の趣をぐっと盛り上げる、の図。

 「天狗飛脚」で重戦車のような走りを披露した市川右太衛門、さすがに往年のスピードはないけど、この映画で繰り返し出てくるランニングのシーンは映画にリズムとテンポを与えていて楽しい。一度は小吉に川へ放りこまれたけれど、志村喬の病気快癒を願ってホタルを飛ばしてやる原健策と伊東亮英がいい。

 チャンバラの前にタスキをさっとかけて袴のすそをちゃんと持ち上げて臨戦態勢に入る市川右太衛門とか、ちょっとくたびれた着物をゆるく着こなす原健策が上手いなあと思う。こういうささいなところが丁寧だと時代劇はプロっぽくなる。

 東映の時代劇では悪役、好々爺、両刀使いの薄田研二は、入れ歯外して影に日向に小吉をサポートする爺や役で活躍。ハッピーエンドって、やっぱいいよね。

2002年02月10日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16