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大曽根家の朝


■公開:1946年
■制作:松竹
■製作:細谷辰雄
■監督:木下恵介
■原案:伊藤一
■脚本:久板栄二郎
■撮影:楠田浩之
■音楽:八木正生
■美術:森幹男
■主演:杉村春子
■寸評:第一回毎日映画コンクール脚本賞(久坂栄二郎)、演技賞(小沢栄太郎)受賞


 昭和十八年の東京、大曽根家という上流階級のお屋敷に舞台をほぼ限定して物語は展開する。反戦思想のあった当主の影響で、大曽根家の長男・長尾敏之助は思想犯として連行され、画家を志していた次男・徳大寺伸は召集されて戦地で病没、長男逮捕のとばっちりで長女・三浦光子は婚約破棄、その婚約者・増田順二も出征、陸軍予備学生に志願していた三男・大坂志郎も特攻出撃で戦死。残された母親・杉村春子のところへは焼け出された職業軍人の叔父・小沢栄太郎とその妻・賀原夏子が居候して我が物顔で振舞う。そして残っていた長女も家出する。

 大曽根家はつまり戦時中の日本の縮図であり、そこへ土足で踏み込んでくる叔父一家こそが戦争の罪悪そのものということなので小沢栄太郎が演じるこの「叔父」の存在は徹底的に悪玉として描かれる。戦時中は軍国主義をふりかざして男親のいない一家に君臨し、ひとたび敗戦となれば責任逃れに終始、ドサクサにまぎれて軍の物資を横領して闇屋として私服を肥やすに至ったこの叔父夫婦に対して母親の杉村春子ついには怒りをぶちまけるのだが、それは軍国主義へと結実した封建主義への怒りである。

 実際にこの叔父さんみたいな人はいた(そうでない人ももちろんいたのだが)わけで、お得意の情報戦で戦後を上手く乗りきり、ちゃっかり戦争批判派にまわって戦犯逃れ、あげくは公金横領まがいの行為で会社をいくつか興したりした。

 この当時よりももっと道徳なんてものがヘロヘロになっている現代の観客が見たらどこの国の話かと思うだろうが、戦争で怖いのは弾が飛んでくることよりも、圧倒的な迫力の前に打ちのめされてしまう人の心の変貌であるということがこの映画を見るとよくわかる。

 なにもかも失ってしまったかのような大曽根家に、長男の釈放と婚約者の復員という希望が見出されるラストシーンはあまりにもキレイキレイすぎて見てるこっちが気恥ずかしいような雰囲気だが、当時の世相を想像するに、こういう演出は客が渇望していたものだったろうから、歴史のビビッドな疑似体験としては価値があると思う。

 この映画の最後に笑顔を見せた「母親」は、数年後、日本が封建主義から民主主義へと性急に移行する過程で、ないがしろにされてしまった道徳心に絶望して自殺する「母親」へと変転する。

 次男の絵の師匠として東野英治郎が出ている。

2002年02月02日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16