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あばれ獅子


■公開:1953年
■制作:松竹京都、松竹(配給)
■製作:小倉浩一郎
■監督:大曾根辰夫
■助監:
■原作:子母沢寛「勝海舟」
■脚色:八住利雄
■撮影:石本秀雄
■音楽:鈴木静一
■美術:川村鬼世志
■主演:阪東妻三郎
■寸評:市川右太衛門と北大路欣也の「父子鷹」と原作は同じ


 本作品は阪東妻三郎の遺作です。映画の冒頭に「一代の名優 阪東妻三郎に捧ぐ」という字幕が入りますから見てるほうはそういうつもりで見てしまいます。てなわけで撮影半ばでリタイアして急逝したもんだからブルース・リーの「死亡遊戯」みたく随所にスタンドイン、アフレコは声色という苦肉の策です。

 勝小吉・阪東妻三郎は放蕩無頼の末に四十前で隠居の身の上、自分が無役で苦労したもんだからセガレの麟太郎(後の勝海舟)・北上弥太朗にはめちゃくちゃ期待してたので、麟太郎がまだ幼い将軍家のお世継ぎ様の小姓になったときは大喜びでしたが、肝心のご主人が速攻で死んだので出世の糸はプツンと切れたまま。小吉は古道具の目利きができるので世話人・香川良介に頼んで道具屋の仕事を手伝い、クソ貧乏ですがわりとお気楽な生活を送っています。

 小吉の妻、お信・山田五十鈴は、小吉が本所深川でブイブイ言わせたキャリアゆえに見ず知らずの人の難儀を助けまくって人望が厚いので、どんなに苦労させられても小吉のことを尊敬して惚れているという神様のような人です。

 麟太郎は江戸の名門、島田虎之助・月形龍之介の道場で活躍していましたが、ボンビーなくせにメキメキ強い麟太郎は良家の子息にねたまれちゃったりしてちょっと肩身が狭いです。しかしリベラルな虎之助のおかげで、迫害の対象になっている蘭学も好きなだけ学べるし、風采は上がりませんが人物の良い蘭学者、都甲市郎左衛門・有島一郎とめぐり合えたりしているシアワセ者です。

 麟太郎が蘭学の有名な先生に弟子入りするというので小吉はヘソクリを都合して質入した紋付を着せてやります。感動するお信と麟太郎でしたが最初に入門を願った箕作阮甫・戸上城太郎は若い芽をつむのが好きなヤな奴だったので麟太郎は情けなくて悲しくなってしまいます。しかしお母さんに励まされて訪ねた次の先生、永井青崖・徳大寺伸はとても良い人だったので一安心の母子でした。

 学問とスポーツをエンジョイした若い衆が次にすることといったらエンジョイ・ラブですから、麟太郎もたまたま知り合った深川芸者の君江・紙京子とたちまち相思相愛になります。最初は反対していた小吉でしたが君江があまりにもシッカリ者なのでたちまち気に入ってしまいます。二人の結婚式の日、喜びのあまり三下の三太・桂小金治と一緒に踊り出してしまう小吉なのでした。

 理想の親子(母子&父子)で夫婦でカップルで、いやあこういう家庭っていいなあと思いますよね。やっぱ後で大出世するようなスケールのデカイ人物が育つ環境って大切ですよね。親も偉いけどどんな人に出会うかというのは本当に運だよなあと納得してしまいます。

 でも映画としては苦しいですよねえ、コレ。何がって長い療養生活から復帰第一作ってことですけどやっぱヤツレてんですよね、バンツマさんが。それに資料を読むと「7割がた撮影したところで入院」というようなことですけど見た目はどうしても半分以下です、本物のバンツマさんが出てるところは。立ちまわりも、火消し連中との大立ち回りやらなんやらもほっとんど吹き替えなんで見所らしいところもありません。

 見所っていうのは剣豪スタアとしては無かったんですけど、麟太郎に「1日でも良いから母さんを喜ばせてやれよ」と諭すところとかの無学で庶民的な「狐のくれた赤ん坊」または「無法松の一生」のテイストはバッチリで、あの、大づくりなバンツマさんが、精一杯はにかんだ顔で語られると心にしみじみと入ってくるんですよね。それで最後の元気な姿になったのが婚礼の席での踊りなんですけど、なんと申しましょうか実生活でのその後の子息たちの活躍を知っている21世紀の観客としては、まるでこの映画全部がバンツマさんの遺言みたいな気がしてまた泣いちゃうんですよね。

 運命って皮肉なめぐり合わせを演出するもんですね、あくまでも結果的にですけれど。

 アフレコ担当した人は必死だったんでしょうけど物真似だし、スタンドインも努力は買うけれども、苦労は察して余りあるけれどもやっぱり、、っていう感じでどんどん寂しくなっちゃう映画でした。

2001年12月15日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-05-16