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待ち伏せ


■公開:1970年
■制作:三船プロダクション、東宝(配給)
■監督:稲垣浩
■助監:
■脚色:藤木弓、小国英雄、高岩肇、宮川一郎
■原作:
■撮影:山田一夫
■美術:植田寛
■音楽:佐藤勝
■主演:三船敏郎
■備考:社長競演大会。


 中村錦之助が1968年に中村プロダクションの旗揚げ作品として製作した「祇園祭」「幕末」、勝新太郎の勝プロダクションの「座頭市と用心棒」にはそれぞれ出演。石原裕次郎とは「黒部の太陽」で共演、MAのトリッセンスタジオを共同経営し石原プロ製作の「ある兵士の賭け」に出演。で、今度は三船プロダクションの映画にスタアプロダクションの社長が全員集合したのが本作品。

 お互いにエールを送りあうスタアプロダクション、いい時代でしたねえ。ただしみんな酒飲みだったんで三船さん以外は早死にだったってえのはあまり頂けない最期でありましたが。そこまで仲良ししなくってもいーのに、ねえ。

 浪人、鎬刀三郎・三船敏郎は「からす」と呼ばれる謎の老人・市川中車に金で雇われ、三州峠で「何事かを待つ」ように依頼されます。鎬刀は途中、ドメスティックバイオレンス全開のぐうたら亭主、伊太八・土屋嘉男に縛り上げられているおくに・浅丘ルリ子を助けます。彼女は茶屋を営む徳兵衛・有島一郎、お雪・北川美佳の父子家庭に下働きとして住みこみます。そこん家の納屋にはあやしげな医者くずれの玄哲・勝新太郎が暮らしていました。

 盗賊の辰・山崎竜之介を捕らえて負傷した同心、伊吹兵馬・中村錦之助、その兵馬のオヤジに無実の罪を着せられてところ払いをくらったやくざの弥太郎・石原裕次郎もひょんなことからこの茶屋に居座ります。

 そこへ辰の仲間が現れます。辰は密書の運び屋として利用されていたのでした。法華の権次・戸上城太郎がお雪、徳兵衛、おくに、それにおくにの後を追って来た伊太八を皆殺しにしようとしたとき、奥から玄哲が現れます。彼は三州峠を通過するさる藩の御用金強奪計画の主犯でした。鎬刀三郎は玄哲のボスと「からす」が同一人物であることを知り、彼に協力します。

 玄哲はかつて江戸城の御殿医でしたが、水野忠邦のスキャンダルの身代わりとなって追放されました。以来、水野からダーティーな仕事を任されるようになっていたのでした。つまり本件は水野が地方の小藩を取り潰して領地を手に入れようという意地汚い策謀であり、鎬刀三郎はその片棒を担がされていたのです。

 行列が到着します。しかし、その時、鎬刀三郎に玄哲暗殺の命令が下ります。すべては玄哲を葬ろうとする水野の罠でした。弥太郎が役人を連れて駆けつけ、玄哲は真実を知って谷に身を投げます。鎬刀三郎も捕らえられそうになりますが、兵馬によって助けられます。鎬刀三郎は目的を達して姿を消そうとした「からす」一味を斬り捨てました。

 鎬刀三郎とおくにのエピソードはとってつけたような感じがしないこともありませんが、浅丘ルリ子の情念の賜物で見ごたえのある逸話となりました。人間くささ炸裂の土屋嘉男も下世話で馬鹿でいい感じです。

 思えば三船さんは最期まで黒澤明の呪縛から逃れられない人でしたが、それは見るほうのニーズだったのかもしれません。そういうところを繊細な三船さんが感じとって、あの「用心棒」とほぼ同様のスタイルとキャラクターで本作品を完成させたのではないでしょうか。

 この映画には2つの「待ち伏せ」が登場します。一つ目はメインストリームの「御用金襲撃事件」もう一つは人間の命をただの道具としか考えていない権力者の手先である「からす」をたたっきるシーンです。そのあたりの見せ場が今一つ説明不足というか駆け足というか。

 玄哲のめちゃくちゃ屈折したキャラクターも描きこみがやや不足で尻切れとんぼだし、弥太郎の父親のエピソードも深みがなく、兵馬の苦悩もステレオタイプ。多重構造の積み上げで消化しきれてないうらみはありますが、まあ、ドサまわりの座長公演みたいなもんですから、登場後、イキナリ裕ちゃんめがけて「馬鹿!」って言っちゃう錦之助が見られればそれで満足しましょう。

 三船敏郎の稲垣監督へのサービスっぽい陣太鼓の乱れ打ちと、三船と勝新太郎による「ゴジラVSガメラ・時代劇編」=「座頭市と用心棒」のリスペクトシーンのオマケつき。

2001年10月28日

【追記】

※本文中敬称略


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file updated : 2003-05-16