黒い潮 |
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■公開:1954年 |
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東宝の戦争映画では三船敏郎に意見できる数少ない俳優として活躍していましたが、山村聡には「蟹工船」と本作品を代表作とする監督としての一面もありました。 しのつく雨の夜、常磐線の綾瀬駅付近の線路のそばをふらふら歩いていた近所の馬鹿は、憔悴しきった中年男がネクタイをはずしながら線路を歩き走ってくる列車に飛びこむのを目撃します。 毎朝新聞社の社会部記者、速水・山村聡はその男が国鉄総裁の秋山・高島敏郎であることを知り、警察から発表される状況証拠にもとづく「非他殺説」を記事にします。ライヴァル紙が憶測による扇情的な「他殺説」の記事で売上を伸ばす中、社会部の部長・滝沢修は、編集局長・千田是也、水谷主幹・青山杉作、整理部長・清水元らの「他殺説推進派」から速水の立場を擁護します。 取材チームは、筧・河野秋武、東野村・信欣三、斎藤・田島義文、白川・下元勉ら若手の優秀な記者で編成されます。警察の方針も二転三転します。事件直後、法医学者・中村伸郎が下した死後轢断という判定が覆りそうだという情報が流れ、警察も自殺説を発表するかに思われ、速水たちは自説の正当性を確信しますが、直前になって発表が中止されます。 怒った速水たちは警視庁の刑事、大木田・石山健二郎に詰め寄りますが、彼は警察よりも新聞社よりも、もっと上層部の判断によるものだと言外に示唆します。速水たちはあきらめざるを得ませんでした。結局事件の真相はウヤムヤになり速水は地方局へ飛ばされてしまいます。 昭和二十四年に国鉄当局が大量の人員整理を行い、当時の総裁、下山定則がデパートから忽然と行方をくらまし、その轢殺死体が常磐線綾瀬駅付近で発見されたという実際に起きた事件にもとづく、井上靖の著作を原作としています。GHQの統制下で起きたこの事件は、今なおその真相は明らかにされておらず、この事件の後、約1ヶ月の間に連続して起きた三鷹事件、松川事件とともに戦後日本のミステリー事件として有名です。 主人公の速水には過去、夫人が流行歌手と心中事件を起こしたという痛手があり、その時の憶測と偏見に満ちたマスコミと世間の浅ましい姿が彼には「黒い潮」のように感じられ、以後、そのようなことは絶対にしないよう心に誓っていました。ジャーナリストとしての苦悩と、サラリーマンの悲哀、そしてなにより真実を追究しようとする主人公の姿には新聞人として現在では最も理想とされる人格を発見できます。 映画的な盛り上げ方は下手糞ですが、かっちりとした原作に左翼系の実力のある演劇人の多くで固めた出演者には多いに見るべきものがあります。また、撮影は新築間も無い日活のステージを使用しており、スタッフもやる気を見せて、これ本当にセットなの?と思われるくらい、360度びっしりと机と人と資料とに囲まれた真夏の新聞社を再現していました。 刑事の石山健二郎が総裁の死体にそっと傘をかざしている国鉄職員の姿を見て「ああいうの、いいなあ」という台詞がなんともこの人となりを表現していて素晴らしく、同時に本作品のたぐいまれな観察力と社会性を見るものにしっかりと伝えます。 それゆえ、最後に飛ばされる速水を気の毒だと言って泣く、庶務の節ちゃん・左幸子や悔し泣きする部下たちに速水が「真実は厳然とあるんだから、それは時がくればかならずわかるんだよ」という一言を残すシーンでは心が奮い立たされるような気持ちになれるのです。 これほどの大事件であっても、それゆえに?真相は闇の中へ葬られてしまう時代に生きた言論人のやりきれなさが、今、自由だと言われる時代に生きている観客にもヒシヒシと伝わると思います。 メッセージ性の強い映画は大体が作り手の熱意のからまわりだけが鼻についてしまうのですが、この映画は器用さに欠けているのと、人間性を貫く姿勢に作るほうと演じるほうが一致団結した熱気を感じてすがすがしいのです。 学者として真実の探求に素直な情熱を燃やす、速水の恩師・東野英治郎の飄々とした姿をまぶしそうに見送る速水の視線が切なくて印象的。ほか、恩師の娘で速水に押しかけ女房しようとする純情(か?)なお嬢さんに津島恵子、副部長に安部徹、ちょっといやみな後輩記者に芦田伸介、若手の記者役で名和宏、事件を熱く語る東大生で内藤武敏、山村聡が演出中に彼のスタンドインをやった浜村純が地方紙の記者役で出演。 (2001年10月18日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16