男の顔は履歴書 |
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■公開:1966年 |
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安藤昇の経歴に裏打ちされるものでしょうが、この人からは戦後の混乱期(どさくさ)という香りが漂います。戦後のマーケットをとりまく三国人のエピソードは「女王蜂と大学の竜」(1960年・新東宝)「新・悪名」(1962年・大映)にも登場します。 もうすぐ取り壊されるおんぼろ病院の医師、雨宮修一・安藤昇のところへ交通事故の重症患者が運び込まれます。彼は朝鮮人の崔文喜・中谷一郎でした。 十八年前。 昭和二十三年、戦後の闇市マーケットに三国人やくざの九天同盟が乗り込んできます。同盟のボス、劉成元・内田良平は全国から仲間を集めています。沖縄戦から復員してきた雨宮はマーケットの地主でしたが実質ここを仕切っていたのはやくざの小野川一家、組長・嵐寛寿郎でした。劉は土地の権利書を奪うために雨宮の弟、俊次・伊丹十三を拉致して人質にします。コリアンキャバレーで働いていた在日朝鮮人の戦争孤児、恵春・真理明美は三国人と日本人が対立することに心を痛めていました。劉にやとわれたやくざの一人が崔文喜で、彼は戦時中、沖縄で雨宮の部下でした。 崔は恵春と俊次を逃がそうとしますが、劉の部下に発見され二人は射殺されます。崔は逃げますが重傷で、マーケットに匿われます。雨宮は恋人だったマキ・中原早苗と別れてから、劉と九天同盟を全滅させて服役します。 八年間の獄中生活。雨宮をたずねてきたマキは、すでに彼の恋人ではありませんでした。 病院に崔を車で轢いた社長・三島雅夫がやってきます。崔の娘の名前を聞いて「なんだ朝鮮人か!」と馬鹿にして立ち去ろうとする社長に雨宮は「この娘に謝れ!」と怒鳴りつけます。駆けつけてきた崔の妻はマキでした。 安藤昇の左ほほの傷痕は本物です。劇中では九天同盟との争いの最中につけられたことになってますが、その前からちゃんとあります。メイクと照明で隠しきれていないんですがその「見えそうで見えない」ところが迫力です。このほかのスカーフェイスの有名人といえば長谷川一夫と大日方伝くらいなもんですが、映画が始まってすぐ「男の顔は履歴書」というタイトルに続いてこの傷痕がバーンと出てきたときは、ああなんて分かりやすい映画なんだろうと思いました。 ところがどっこい、この映画は人間のエゴと差別を強烈に描いた一筋縄では全然いかない映画でした。 差別の連鎖、果てしない復讐劇、食うためになら恩人を見捨てるのだって、やくざに頼るんだって全然平気な庶民のエゴとすさまじい民族差別が描かれますが、百パーセントの悪もなくまた善もないという複雑な事情は今ではタブーとされていて、製作当時でも「この映画はフィクションです」の断り書きが必要です。しかしこうしたデリケートな問題だから避けて通るのではなく真正面から描こうというのが本作品です。 雨宮の虚脱状態は戦後のほとんどすべての日本人の代表です。雨宮と弟の対立は戦争体験者と未体験者の衝突そのもので、これもひとつの戦後の混乱というものなんだな、ということです。 この映画は一人の俳優のターニングポイントになった作品でもあります。その後の活躍を知っていれば「ふーん」というところですが、本作品の前まではどっちかっつーとファッションモデル出のスマートさがウリだったんですから、本当に「変身」したわけですね、菅原文太は。 狂犬のような三国人やくざ、徐延福を演じた菅原文太の暴力性はこの映画で本格的に開花したものです。床屋でモミアゲの長さが気に食わないと店舗を破壊し、パンパンがアメ公と朝鮮人を差別していると因縁をつけボッコボコに殴る姿はただ恐怖を与えるだけでなく、その背景にある被差別者ゆえの悲しさ悔しさ、つまり彼の狂気が戦後処理の決定的な欠落を体現しているわけです。本作品前後の共演をきっかけとして安藤昇のところに居候し、東映移籍を果たしました。 もう一人、その後の有名俳優を発見しました。 恵春と俊次が九天同盟に待ち伏せされたのは、恵春の裏切りだと思った俊次が恵春を罵ります。しかし、捕まってリンチにあった俊次に、何も知らない恵春のあとをつけたのは自分たちであることを、朝鮮人の若い衆が説明します。ここで俊次が恵春のことを深く愛するようになる重要なシーンなのですが、この若い衆がまたやたらと力入れてしゃべるんで、ハイテンションな熱血青春野郎だなあ、いちいちポーズつけないと喋れんのかコイツは、などと胡散臭い目でよく見たら藤岡弘でした。この頃からすでに変身ポーズかい!とシリアスなシーンなのに思わず笑ってしまいました。 このほかの出演者は、九天同盟の面子に、菅原文太と同じく元新東宝ハンサムタワーズの高宮敬二、富田仲次郎。看護婦役に香川美子(特別出演)。 (2001年10月16日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-05-16