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あの、夏の日 とんでろじいちゃん


■公開:1999年
■制作:プライド・ワン、ピー・エス・シー、東映(配給)
■監督:大林宣彦
■脚色:石森史郎、大林宣彦
■原作:山中恒
■撮影:坂本典隆
■美術:竹内公一
■音楽:學草太郎、山下康介
■主演:小林桂樹
備考:市制百周年記念映画。

ネタバレあります


 小学生の大井由太・厚木拓郎はいつも物事の理由について考えているので周囲からは、ただぼんやりしているように見えてしまい、あだ名を「ボケタ」にされています。

 クラスメートのみならず父親・島田久作、母親・松田美由紀、姉・佐野奈波からも「ボケタ」と愛情を込めて呼ばれてしまう由太は、最近、ボケの症状が出てきたらしいと祖母・菅井きんから連絡のあった、祖父の大井賢司郎(おじーちゃん)・小林桂樹の監視役として、わずかな報酬につられて夏休みを父親の故郷である広島県の尾道で過ごすことになります。

 ボケタにはおじーちゃんが「ボケている」確信がないのですが、おじーちゃんはボケタを不思議な場所へ案内します。呪文を唱えながら目をつぶるとそこはおじーちゃんが子供の頃の尾道でした。

 現在に戻ったボケタは、長恵寺の娘、ミカリ・勝野雅奈恵から、昔、寺の離れに肺病のために外出を許されず11歳で死んだ、玉と呼ばれる少女がいたこと、本堂にある小指がもげた弥勒様のことを教えてもらいます。玉の部屋にあった古い蓄音機から流れてきたその曲の歌詞は、おじーちゃんの呪文と同じでした。

 子供だったおじーちゃんは玉のことを好きになりますが、夏の盛のある日、おじーちゃんは手下のように思っていた近所の貧しい少年に誘われて玉虫を採ろうとして弥勒像を壊してしまったのです。そのために少女が死んでしまったんだと、おじーちゃんはずっと気にしていたのでした。ボケタはもう一度、おじーちゃんと一緒に「あの、夏の日」に旅立ちます。

 いやあ、びっくりしましたよ。よかったですよねえ、おじーちゃん大往生で。てっきり太吉を船から突き落とすかなんかして殺しちゃったんじゃないかと心配しましたよ、マジで。つまりあっちが「神罰」でこっちは「運命」だったっていうオチですよね。だって、ほら、それくらいの凄みがありますもん、小林桂樹。

 「尾道三部作」って言うんですか?「ふたり」「あした」に続いて死んだ人と生き残った人との対話というテーマは本作品にも共通しています。そして対話する生者に共通しているのは「後悔」という気持ち。死はたいてい予測できませんから、残った人にはなんらかの後悔が残るんですね。「もっとこうすりゃよかった」とか「なんであんなことしちゃったんだろう」という。

 断ち切られた時間に生きている死者と、継続している時間に生きている生者の出会い。究極の夢ですね、死んだ人に会いたいと言うのは。もちろん、相手は知っている人に限りますけどね。

 「麗猫伝説」(監督)に入江たか子、「夢みるように眠りたい」(協力)に深水藤子を引っ張り出した大林監督。小林桂樹に越中ふんどしというのは反則では?だってそれじゃあ「ボケた」って言うより「裸の大将」じゃん?それに、喜寿の小林桂樹を本当にふんどし一丁にしちゃうし。映画ファンに対する、て言うか映画に対するサブリミナル・オマージュ作戦に、またもしてやられた、って感じです。

 主役の厚木拓郎が実に美形でグーです。表情も綺麗ですしね。本当に島田久作と松田美由紀の遺伝子なのか?っていう気がしますが。おじーちゃんの手品の道具にされちゃうミカリちゃんも元気で素直で、まさに失われたニッポンの少女という感じのドスコイ体型。実に肉付きのいい女の子だなあと思ってたらお母さんがキャシー中島だったんですね。優しい男の子と逞しい女の子。これもまたひとつのノスタルジーなんでしょうかね。

 おじーちゃんの眼鏡を借りると、周囲が急にタイムスリップするところが、いいんですよね。子供と老人の接し方としてこういうアプローチもアリだよなあと思わせますね。おじーちゃんが残された人たちにきちんとメッセージを残すのは、後悔させないためなんでしょう。年老いるならこういきたいよなあ、ホントいい余生だよなあ。

 ミッキー・カーチスは寺男というよりホームレスっていう感じでファンキーさがハマリすぎてて大笑い。東京生まれで東京育ちのボケタが徐々に広島弁になっていく小芝居も楽しいです。

2001年09月16日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-06-15