大病人 |
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■公開:1993年 ネタバレあります |
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平成版「生きる」。 大病人、向井武平・三國連太郎は俳優兼監督、下積み時代から苦労をともにしてきた妻、万里子・宮本信子とは離婚寸前、女優の神島彩・高瀬春奈を愛人にしています。ある日、吐血した大病人は妻の同級生だった医師、緒方洪一郎・津川雅彦の診断で末期の胃癌と判明しますが本人には胃潰瘍であると伝えられ即、入院させられてしまいます。 ここからは一度でも入院したことがある人ならば、いちいち頷けるようなエピソードが丹念に描かれていきます。人間とラットの区別がつかない冷淡な医者、評論家気取りの長期入院患者・三谷昇、体じゅうに管が刺さっている瀕死の患者・高橋長英、医者と上昇志向の強いヴェテラン看護婦・木内みどりの対立。 てんやわんやのドラマの中で、一度は自殺を図り、臨死体験をした大病人は、残された時間をしかかり中の映画の完成に費やし、多くの仲間と妻とそして誠実な医師に看取られて静かに息を引取ります。 一見すると現代医療事情の批判映画にも見えますけれど、実は平成の現代における「最も理想的な死に方」を提言している映画です。多くの原作や資料協力を得ているだけに生々しさもありますが、ユーモアを巧みに交えて語られていくので見終わった後、なんとも言えない爽快感と充実感が得られます。 主人公の臨死体験は当時としては最新鋭のCG合成です。異次元へ落ちていく、上方へ墜落していくような疾走感と浮遊感、そして、三途の川の対岸にいるおそらく彼の先祖たち、妻の声に呼び戻されて生還するまでが、日常ありふれた光景や出来事が脈絡なくつながっている夢の中のような展開で描かれます。ちょっと「2001年宇宙の旅」っぽいんところもありますがつまり「事例」として多く報告されているイメージなんでしょうね、きっと。 仮死状態になったとき、幽体離脱した大病人の魂と肉体の絆を医師がぶった切るってのはちょっと洒落にならないような気がしました、でも笑いましたけど。映画の中で女を口説かない津川雅彦はとても珍しいですね。ま、亭主が重病だと分かったとたんに女房にモーションかけそうになるんですが、まあこれはファンサーヴィスってことでしょう。 「医者のために患者がいるんじゃない、俺の体のためにお前のメスがあるんだ!」という台詞に感動してしまう医師の姿が最も理想的だったりするわけですが、にしても、かつて芥川比呂志は病状が進行してきたときテレビで「癌」という言葉が出ただけでスイッチ切っちゃったそうですから、物凄くデリケートなテーマなんですよね「大病」というのは。それをここまで正面きって描いちゃうところが伊丹監督の野心的な試みであり、人気の所以なのでしょう。 死は死ぬ本人と残される人たちと両方にドラマを創出します。大病人は人間の尊厳をアッピールして死にますが、人も自然の営みの一つであるということ、死は万人に平等であるということで死を受け入れようとする残された人たちの思いが、ラストの桜と林の映像でとても染み入ってきました。 (2001年09月02日) 【追記】
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-06-13