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親鸞 白い道


■公開:1987年

■制作:松竹、日映、キネマ東京

■監督:三國連太郎

■脚本:三國連太郎、藤田傳

■原作:三國連太郎

■撮影:山崎善弘

■美術:木村威夫

■音楽:YASKAZ

■主演:森山潤久

■備考:カンヌ映画祭審査員賞

ネタバレあります


 三國連太郎のライフワーク。

 当時、一部の上流階級のものであった仏教をどうしても受け入れられなかった善信(親鸞)・森山潤久は「宗教は万人のものである」という信念のもとに、貧しい人たちや差別されている人たちと生活をともにして教えを広めていきます。鎌倉幕府による新興宗教への弾圧により、善信は流刑になります。彼には元尼僧の妻、恵信・大楠道代と子供がいました。

 善信は仲間の善念・菅貫太郎や信者とともに射鹿・泉谷しげるの案内で関東に到着します。人買いの阿藤太・ガッツ石松が百姓たちを連れてきたそこは子供の病気を治すのに念力(?)を使う男坐女・麿赤児に頼っているような悲惨な場所でした。善信の子供も疫病で死にます。恵信が狂ったように止めさせようとしましたが善信は子供の遺骸を焼きます。

 脅威を感じた僧侶の明寅・丹波哲郎は行仙・小沢栄太郎に命じ、稲田頼重・フランキー堺を通じて善信を追っ払おうとします。善信は妻子と別れて陸奥の国に行きますが、そこで盲目の老婆・原泉に出会います。彼女の一人息子、一斗・安藤一夫は山奥のタタラ場へ出稼ぎに行きます。タタラ場には不気味な仮面を被った統領・清水宏治(糸へんに宏、文句はマイクロソフトへ)がいて無茶な操業がたたって大事故が起きてしまいます。

 恵信に女の子が生まれたと言う知らせが届きますが、善信はとうとう妻子と別れて一人、信仰を貫く決心をします。

 三國連太郎が演じた役は善信の行動を監視する宝来という名前の「犬神人(いぬじにん)」です。広辞苑によるとこの人たちは「中世、京都祇園の八坂神社に所属し、洛中の死屍の始末や八坂神社の武力を担うとともに、平常は沓・弓弦などの製造を業とした人々。また祇園祭の神幸に道路を清掃する役目を負った」とあります。目だけを出した独特の覆面をつけています。

 分かりやすく言うと「『もののけ姫』で鉄砲作ってた人たち」みたいな格好です、て言うかあの人たちのモデルなんでしょうね。あの映画であまり公に語られなかったもう一つのテーマが「差別問題」であったということが本作品を見れば分かりすぎるくらい分かってしまいます。で、三國連太郎もこのテーマには深く関わっているわけで「破戒」(1962・大映)「三たびの海峡」(1995・三たびの海峡制作委員会)などの作品があります。

 激しい宗教弾圧をアッピールするビジュアルには圧倒的なものがありまして、念仏宗の坊さんの首をガーッと切り落す役どころに若山富三郎、血が噴水のように出るリアルな人形が相手ですが、生首をまともに切り落すところが出てきますのでかなり驚きます。しかも落とされた首が口パクパクするし、、、。

 苛烈な差別の悲劇をこれでもかと描きまくります。そこに鎌倉幕府転覆を図る北条一族による実朝暗殺のエピソードという「誰でも知ってる事件」が挿入されるためこの作品に描かれた一連の「あまり知る人がいない」て言うか「蓋をされている」出来事や状況が、歴史の中にちゃんと真実として「在った」ことが示されるようになってるわけですね。

 にしても分かりにくいことに変わりないので、おまけに2時間越す映画は筆者にとってかなりツライのですが、三國連太郎の人徳でしょうか?ゴージャスなゲストを追ってるとちゃんと最後まで見れるようになってるところに根気のない客(筆者ですね)に対する配慮(か?)を感じます。

 生臭で意地汚くて不潔で馬鹿な幕府おかかえの僧侶の宇都宮蓮生に小松方正、そのお仲間が草野大悟。糖尿でも患ってそうな藤原定家・岩井半四郎。善信を説得しに来る僧侶・高木均。貧民窟の琵琶法師・中村嘉葎雄、比叡山で善信に迫った女・緑魔子、彼女と善信の仲を嫉妬して殴り殺した僧侶・辻萬長、など。ワンシーン出演や特異なメークなどで誰が誰やらわかりにくいのは難ですが。

2001年08月19日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-06-13