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天城心中 天国に結ぶ恋


■公開:1958年

■制作:新東宝

■企画:

■監督:石井輝男

■助監:

■脚本:石井輝男

■原作:

■撮影:

■美術:

■音楽:

■主演:三ツ矢歌子

■備考:

ネタバレあります


 映画館で観るワイドショー。

 1957年12月、学習院大学の2年生だった愛新覚羅彗生と大久保武道が天城山中で心中した事件の、わずか2ヶ月後に封切というまさに力づくな映画だ。制作発表時から主役(三田泰子→三ツ矢歌子)と監督(近江俊郎→石井輝男)が交代するなど舞台裏もかなりドタバタした。

 王英生・三ツ矢歌子は劇中では「エイコちゃん」と呼ばれる、修学院大学の2年生。同じ学年の大谷武明・高橋伸は田舎育ちだったがとても繊細なところがあり、いつしか英生と武明は互いに強く惹かれ合うんだが、実は英生は中国のさる高貴な家柄の出で、いずれは本当の親元に帰らないといけない。どーせ結ばれないんだからとっとと別れないとツライぞ、と思ったのは、英生と母・真山くみ子の身元引き受け人である四条・高田稔

 反対されればされるほど燃えちゃうのが若人の恋愛なので、武明は風邪で学校休んだ英生のお見舞いに行き、四条の計らいで直に会わせてくれないと分かると、延々とねばって英生を大感激させる。困ったのは四条で、とうとう事情を武明に説明。武明は絶望して田舎に帰る。

 落ちこむ英生の前に、あきらめきれずに再び登場した武明。思いつめた2人は駆け落ちし、伊豆の天城山へ向かう。

 ピストルの発射音のあと、2人を捜索していた家族とお友達一同が亡骸の周囲を取り囲んで号泣。「どーして死んじゃったのー」とか「死ぬなんて馬鹿、馬鹿、馬鹿ー!」とやるところが延々と続くので客としてはかなり困る。

 死ぬ前にせっかく爪と髪の毛を一緒に埋めて「これで二人はずっと一緒」と思ったら後のシーンでクラスメートがなぜか埋めたはずのブツを手に持ってて「これは一緒に埋めてあげるよー」と言う。もしかして編集ミス?て言うかなるほど「ドタバタしてるなー」というのが手に取るように分かる。事実はともかく、映画的には「そのまま埋めとけよ」って思うでしょ?やっぱ。

 随所にこれでもかと響き渡るのは、本作品のプロデューサーで、当時の新東宝社長であった大蔵貢の実弟、近江俊郎先生のおしつけがましいくらいに哀愁満載の歌声。事件のインパクトを後世の客に伝えて余りあるところだ。

 主演の英生は、お姫様らしくまだ学生の分際でありながらミンクのハーフコートで登校しちゃうのだが、まあとにかく実在の被害者だし、三ツ矢歌子の初主演作品だし、石井輝男監督が三ツ矢歌子のファンだったっていう事情もあるので、そんなところでリアリティ追求したってなあ。

 心中相手になる武明クンを演じたのは、現役学生でほとんどズブの素人である高橋伸だが、まあ、当時の新東宝にはごろごろいた、バタ臭いいかにも甘いマスクの二枚目の天然素材。モデルになった実在の学生はかなり武骨なタイプだったらしいが、そこはそれ映画なんだから美化してあるのは当然。

 センセーショナルな事件を速攻でネタにして映画まで作ってしまうというワイドショー的な営業センスには呆れるが、ここまで堂々とやられると感動すら覚えるぞ。とにかく「今すぐ客が見たがるものを作るのだ!」というある意味前向きな精神は昨今の日本映画が忘れている誠実さだからその点は買いだが、そこに品質という問題がキレイさっぱり忘れられているので、結局は日本映画史に咲いた超キワモノ映画のひとつである。

 そのほかの出演者は、武明の入っている学生寮の寮長に古川緑波、持病の糖尿がかなり悪くなってたと思うんだがやつれていて往年の恰幅の良さがなくまるで別人。2人のクラスメートの一人に新東宝で最も不遇だったんじゃないかと思われるアイドル系スタアの浅見比呂志が出ている。

2001年07月04日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-06-10