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愛と希望の街


■公開:1959年
■制作:松竹
■企画:
■監督:大島渚
■助監:
■脚本:大島渚
■原作:
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:藤川弘志
■備考:原題「鳩を売る少年」


 主人公の正夫・藤川弘志は中学三年生。父親はいなくて母親・望月優子は路上靴磨き、妹は知恵遅れという赤貧家庭。体調を崩した母親の職場で正夫は鳩を売る。そこへ大手メーカーの重役令嬢、とは言っても「サインはV」の中山麻里みたいなブリブリのお嬢様、て言うか女王様ではなく、活発な女子高校生である京子がその鳩を購入する。

 鳩は京子のところから逃げ出して正夫の家に戻ってくる。彼らはこのテで何遍も鳩をリサイクルしていたのだった。

 貧乏人の意地で正夫を高校へやりたいと言う母親、正夫はやっぱそれは今の経済状態では無理だと思っているので就職口を探す。彼の担任の女教師、秋山・千之赫子が京子の兄でメーカ直営の工場で働く勇次・渡辺文雄に協力を依頼する。しかし正夫は試験の結果がよかったにも関わらず就職できなかった。

 身元調査の結果、鳩の一件が会社にバレたからで、正夫と秋山は諦めるしかなく、秋山とイイ線いきそうだった勇次の恋も消滅してしまう。正夫は再び鳩を売る。京子はその鳩を買い勇次に撃ち殺すように頼んだ。

 高級住宅街で猟銃ぶっぱなすなんて、酔っ払った三船敏郎じゃないんですから、そういうことは危ないのでやめましょう、ってそういう映画じゃないんですが。

 後の大島渚の大演説映画に比べると、まるで教育映画みたいで分かりやすさは二重マル。

 「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」は巨匠・黒澤明の座右の銘で、ちょっと見方を変えると悪意は繊細だが善意は大胆であると言うことにもなり、大胆という言葉には繊細さを欠くような意味あいも感じ取れる。京子のしていることがまさにコレであり、裕福な階級が貧窮している階級に対して向けられる善意を象徴しているわけね。

 鳩なんか売るよりカツアゲでもしたほうが儲かるぞ。せっかく金くれるってんだからニコニコ受け取れよ相手は金持ちなんだからさー、それでお互いハッピーじゃん?。階級間闘争なんてものは今の日本じゃほとんど表面的には理解不能だろうが、人間として超えようのない壁は依然として世界には存在しており、この映画と同じような状況は作法を変えて今でもあるね、確かに、見えないだけで。

 つまりこの作品は、制作当時の社会情勢を映画にしましたってんじゃなくて人間にとって、いや、人類が経済生活を営む以上、生まれる普遍的なテーマの映画化だと言えるのね、だから決して古い映画じゃないと思う。

 母物女優の代表選手の一人である望月優子がここでも木下恵介の「日本の悲劇」のテンションそのまま。どーもこの人に見つめられると脅迫されているような気分になるんだけど、私だけ?

 ブルジョワ階級の善意を代表した富永ユキはジャズ歌手として芸能界入り、その後、松竹作品「太陽の墓場」で佐々木功に強姦される女学生を演じた。美人とは言えないけどパンチのあるファニーフェイスが印象的。

 ところでこの映画は「鳩を売る少年」というタイトルがすったもんだして「愛と希望の街」になったエピソードが有名。まあどっちでもいいような気がするが、どう?3

2001年05月13日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-06-08