放浪三昧 |
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■公開:1928年 |
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若侍の伊達主水・片岡千恵蔵は道場の仲間と一緒に「いちどに何十人も斬ったというバケモノみたいな侍は本当にいるのかどうか実験してみよう」ということになりもちろん、真剣使ったら本当に死んじゃうので木刀でシミュレーションする。「当たったら死んだということで本当に倒れてくれよ」と言い出しっぺの主水がやってみるとこれがなんとできちゃった! なんとなく嬉しくなった主水はそのいきさつを、ご飯食べながら箸ふりまわして身振り手振りでお父さんに熱弁する。 イイ気になってた主水はある日、仲間と一緒に歩いていて無名の浪人・香川良介と刀の鞘が当たってしまいイキオイ決闘を申し込む。ところがこの浪人に「お前は名刀を持っているがまだ使い方を知らないなあ」とバシっと言われて意気消沈してしまう。 「自分の変わらぬ性根」について深く悩んじゃった主水は恋仲の娘・衣笠淳子の兄貴が馬鹿騒ぎしても全然乗ってこない。 何年か後、結婚した主水が留守の間に、恋敵に辱められた妻が自害してしまう。キレた主水は恋敵を斬り、一人息子の小太郎・中村寿郎を連れて浪々の身となるがなんとなく気楽そうだ。親子水入らずでおでん食ったりして酔っ払った主水は息子に説教されたりなんかして貧乏だがそれなりに充実した浪人ライフを送っていた。 しかし腕の立つのは周知の通りで、時あたかも幕末で新撰組からも勤皇派からも声をかけられちゃう主水であるがなにをいまさらで相手にしない。剛を煮やした近藤勇・成松和一が小太郎を誘拐して味方になれという。アッタマ来た主水は屯所へ乗りこんで大立ち回りの末、小太郎を救出、再び放浪三昧の身となるのだった。 顔のでっかい、鈍重な片岡千恵蔵しか知らない人はこの映画見て腰抜かすかも?て言うか、よく映画好きな年寄りがこの時代のスタアの「戦後の姿は見たくない」という気持ちがヒシヒシと分かったねえ。同時に戦争による空白は、映画人に限ってないけど、なんとモッタイナイもんだったかも。 戦前の日本の商業映画を見ていると、ヒューマニズムたら、個人のアイデンティティーやら、戦前の映画に比べて戦後の映画がやたらと説教がましく見えてくるから不思議だ。 そらまあ価値観の再構築というのが必要になっちまったのでしようがないところでは、あるが。 戦前の日本映画というのはなんとなく上等に見えるのである。実際、風景でも文化でも、日本がぺしゃんこになる前、どれくらいなシロモノだったのかを知るには戦前の映画を見るのが一番いいような気がするんだが、どうだろうか?単なるドキュメンタリーではなく、当時の人間の美学やユーモアという形に残りにくいものが垣間見れるのは、当時の映画を見るしかないと思う。 この映画は無声映画の活弁トーキー版で見れる。要するに無声映画なんだけど上映したときの雰囲気にしてビデオにしたやつのこと。弁士は無声映画のマツダ映画社の設立者、故・松田春翠。マツダ映画社のおかげで戦前はこの世に影も形もなかった筆者も当時の無声映画を堪能できるのである。文化庁はなにしておるか!ただちにマツダ映画社を表彰せよ! (2001年04月28日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-06-08