血槍富士 |
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■公開:1955年 |
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内田吐夢監督の戦後復帰第1作ということで、盟友の溝口健二、小津安二郎、清水宏、伊藤大輔というそうそうたる面子が企画協力で参加。 仲間の権八・片岡千恵蔵は仲間の源太・加東大介と一緒に主人の小十郎・島田照夫(後の片岡栄二郎)とともに東海道を江戸へ向かって旅をしている。小十郎は普段は心やさしい人物だったが酒乱の気があった。途中、大井川で河止めをくらった一行が逗留した宿には様々な人間が集まっていた。 一人、また一人と登場人物の背景が紹介されていく。旅の男、藤三郎・月形龍之介は身分違いの大金を持っていたので、盗賊を追っている十手持ちの伝次・加賀邦男に目をつけられるが、その金は売られた娘を取り戻すためのきれいな金だった。 やっと探し当てた女郎屋で娘がすでに死んでいることを聞かされた藤三郎は、百姓・横山運平の娘・田代百合子が売られてしまうと知るとその金を因業な女衒の久兵衛・吉田義夫に叩き返す。藤三郎を疑っていた伝次が、すっとぼけようとする久兵衛から証文を取返してくれた。 本物の盗賊が巡礼・進藤英太郎だと見破ったのは浮浪児の次郎・植木基晴で、取り押さえたのは権八だった。しかし役人は感謝状の一枚を小十郎にうやうやしくくれて去って行く。小十郎は次第に制度と人間のしがらみに嫌気が差していた。 源太と酒を飲んでいるところを、大名行列の侍たちに馬鹿にされた小十郎は激昂して刀を抜く。止めに入った源太もろとも小十郎は惨殺された。そこへかけつけた権八は酒樽からあふれた酒でドロドロになった中庭で大勢の武士と必死に闘い皆殺しにした。 下郎ごときに殺されたとあっては主家の恥、おまけに主人の敵討ちをしたという理由で権八は無罪放免になった。権八は、若様と源太の遺骨を抱いて去って行った。 身分差別を徹底的に糾弾しながらユーモアを忘れない、例えるならば講談浪曲ののびやかさ、戦前の時代劇の息遣いが残る時代劇映画の傑作である。本作品は1927年に井上金太郎が監督した「道中悲記」のリメイクで、オリジナルで権八を演じた月形龍之介がリメイク版でも味のある役どころで活躍している。同様にオリジナルで源太を演じた杉狂児もコメディリリーフで登場する。 若様の自慢の槍を持つことを誇りにしていた権八は知り合った浮浪児の次郎に「槍持ちになりてえなあ」とおだてられてホイホイと上機嫌になるところがかわいい。船の上で槍の端が旅芸人のおすみ・喜多川千鶴のお尻に当たっているのに権八は気がつかず「まあなんて無作法なの!」と睨まれても権八はやっぱり気がつかない。次郎と権八のたわいもないやり取りや、宿の台所で女中さんに愚痴たれながら酒をねだる源太、そうしたほのぼのとしたシーンが丁寧でとても印象的。 馬鹿殿三人・杉狂児、渡辺篤、坊屋三郎が他人の迷惑かえりみず往来のど真ん中で野点を始めてしまう。腹を下した次郎がそのそばで野ウ○コをしてしまい、殿様たちがお互いにオナラしたんじゃないかと探り合うところが馬鹿馬鹿しくて最高だ。 権八の後を追おうとした次郎が、槍に見立てて大事にしていた棒きれを捨てるカラーンという音が歌舞伎で言えば拍子木のようにチョーンっと鳴って客の胸に突き刺さってくる。「海ゆかば」をカヴァーした楽曲、豪快でスケールの大きさだけが内田吐夢監督の持ち味ではないわけだね、こういう繊細があってなお骨太な作品、これこそが真価だったってこと、この映画見てよおく分かった。 なかなか元気の良い浮浪児の次郎を演じた植木基晴と、旅芸人の愛らしい娘を演じた植木千恵はともに片岡千恵蔵の実子で兄妹である。 (2001年04月28日) 【追記】 |
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※本文中敬称略 |
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file updated : 2003-06-08