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浪人街


■公開:1957年
■制作:松竹
■監督:マキノ雅弘
■助監:
■脚本:マキノ雅弘、村上元三
■原作:山上伊太郎
■撮影:
■美術:
■音楽:
■主演:藤田進
■備考:


 マキノ雅弘の演出を何に例えたら良いか、たぶんそれは浪花節か講談であろう。

 本作品は1928年〜29年にかけて制作された3話からなる「浪人街」のマキノ自身によるリメイクで、ずっと後年、1990年にはマキノが総監修に退き黒木和雄の監督でもリメイクされている。見比べてみると、黒木和雄のソレは設定だけを頂いてリアリティに徹した全くの別物という感じである。

 江戸時代も中ごろになるとすっかり安定して、いわゆる腕を頼みの、という武士は就職浪人となり、浅草界隈でのんだくれて刃物三昧という無為な日々を送るハメになっている。

 女スリのお新・水原真知子のヒモになっている荒牧・近衛十四郎は、遊女の小芳・高峰三枝子のところに入り浸り。意地汚い商売で金を得るとすぐに酒を飲む赤牛・河津清三郎、仕官の機会を心待ちにしている若い浪人の土居・北上弥太郎は妹のおぶん・山鳩くるみと二人暮し。

 ついに土居のところへ仕官のチャンスが巡ってくるが、殿様からもらった大切な小太刀がないとその話はパーになる。質屋に入れてしまった小太刀はめぐりめぐって荒牧の手元に。それを知った荒牧は、おぶんに80両出せば売ってやるともちかける。おぶんは女郎になって金を工面しようとするが、いざとなったら怖くなり客を刺して逃亡する。

 お新とは、かつて恋仲だった母衣・藤田進は不器用ながらお新をそっとサポートしてやる。荒牧がささいなことから旗本奴の小幡・石黒達也とその実弟の七郎右衛門・龍崎一郎らと喧嘩になり、お新は人質として誘拐される。手引きをしたのは金で七郎右衛門に雇われた赤牛だった。

 旗本たちは荒牧をおびき寄せるためにお新を「牛裂きの刑」にすると言い出した。これは旗本と結託した商人の近江屋・清水元の発案。

 お新のピンチに怖気づいた荒牧は小芳に一喝されて目を覚まし、おぶんに小太刀をやると処刑場へと急いだ。母衣も駈けつけてきた。百人を超す旗本軍団と二人は必死で戦う。赤牛は仕官と大金を目の前にして躊躇したが結局、荒牧たちを助太刀し、みんなを逃がすために一人で立ち向かい七郎右衛門を倒した後、力尽きて倒れた。

 おびただしい数の役人たちがみんなが集まっていた酒場へ向かっていた。荒牧とお新を逃がし、土居兄妹を無事に国もとへ帰した母衣は酒場のオヤジ・丘寵児と赤牛の位牌に別れを告げて役人たちの前に踊り出た。

 一筋縄では行かない大人の武士の付き合いが軽快なテンポで描かれていく。さっきまで喧嘩していたのにお互い得にならないと分かればさっと和解する。意地汚さも人間味、そんな連中が一人の女の危難に一致団結する爽快さ。

 いざ対決というときにもちょっとしりごみするところがいい。こういうのが次のアクションへの「タメ」になる。最近の時代劇にはコレがない。テンポが鈍るというのだろうか?いや違う、妙に生真面目なのだ。浪花節が古臭いという向きにはこの作品を薦めないが、のびやかな大人の余裕と遊びゴコロを堪能したい人には絶好だ。

 つるりとした二枚目の近衛十四郎、マキノ映画の常連で憎めない河津清三郎、ミスター無骨の藤田進、それぞれに持ち味が生きる。山鳩くるみには、若い娘の一途さがよく出た。水原真知子のやるせなさが上品でいい、そしてなにより高峰三枝子の遊女には気品がある。昔の男優には色気、女優には華と品、これも現代ではなかなか求められないものなので見ておくといい。

2001年04月01日

【追記】

※本文中敬称略


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■日のあたらない邦画劇場■

file updated : 2003-06-07